思わず品がないなぁ~~と思った。

 

投資歴のうんぬんよりも、それはおおよそ関係ない話かも。

大事な自分のお金を失い(地獄を見て)心も砕けたとしても、そこからどれぐらい頑張って這い上がってきたかにより、blogに書く言葉にも「生」が付いてくるのだと思う。

 

ある人が心を打つ記事を書いておられた。

私も読んだけど、心を打つ大変いい記事でした。

 

でもね、同時に疑問も湧きました「タイトルに対して」の疑問です。

果たしてこれが初心者に伝わるのだろうかと?

 

大変難しい事なのです『相場の厳しい世界を伝える事』は。

 

どれだけ相場の世界の厳しさを伝えたとしても、地合いに乗って儲けを得ている者には、自分が今どの位置に居るのかさえ気が付けないから、目の前の『得た利益』に酔いしれている者に、気を付けなさいと伝えても、耳には届きません。

それは決して悪い意味ではなく、経験がない事で気が付けないのですから、理解のしようがないのです。

 

>ある人が心を打つ記事を書いておられた。

私の心を打ったのは、私が地獄を経験しているからです、だから記事の内容が理解できる。

 

地合いの良さに助けられて、嫌でも?あるいは気付けないままに天狗になってしまった経験があるからこそ、記事の内容に理解が示せるのです。

 

あの時、同じ時にやられた多くの人々が今でも相場の世界に居るのか?

いますよ。

どんなに深く傷を負っても未だに生き残りその人らしい相場観の中でご活躍の方はおります。

 

でも多くの方がいなくなったのも事実です。

その去っていった方々を、私は『コケにしない』。

それはあまりにも失礼なことだから。

 

誰が好き好んで「潰れるような会社に投資をします?」

解らないから、手を出したって言うのが事実なのです。

そこを理解もせずに、品のない記事が書ける人が居るのだと知って、なんとつまらない世界なのかと思った。

 

相場の世界から消えた人達をコケにするのだけは止めた方がいいです。

それは自分にいずれ跳ね返ってくるのですから。

(消えた辛さを想像できる立場に回る事です)。

 

経験を積んで、経験の中で書ける言葉とは、自分の辛さも、這い上がれた理由も、その時に味わった喜びも、加味されているのです。

その時の思いを書いた言葉の意味が、誰にでも伝わるはずないです、理解など出来ないでしょうね。

 

読んだだけで?なぜそうも簡単に『解るのです』?

それは解った気でいるだけの話です。

 

 

 

一生懸命に作った料理なのに、自分で食べて見てなぜか味気ないと感じた人も居るかも。

 

私の料理に『あ!』と感じる味があったとしたらね、それは料理の経験からくる味付けなのです。

どれがその『あ!』なのか、解ります(´艸`*)

これが美味しいのですよ。

 

痛みを伴う事から避けられない世界がここにあります。

人様の事をどうこう言う前に、我が身を正す事の方が先ですよ。

地合いに助けられただけの人間は、ほぼほぼ消えていくのがこの世界の常です。

 

どこで気が付けるか?己の立ち位置を。

それが生命線になるのです。