とりあえず、ひとつの答え。
前回のブログではつぶやいてしまい、申し訳ありませんm(_ _;)m
母も退院が見えてきて、ようやく落ち着いて参りました。
弱気にはなっておりましたが、だからといってビアンやめようとか思っている訳ではありません。
(ってか、やめようってやめられるもんじゃないし;)
もちろん別れようとかはさらさら思ってる訳ではありませんので!
いかにすれば、いざという時に少しでもつらい思いをせずに、ビアンとして生きていけるか。
なかなか答えの出る問題ではなく、だけどずっと考えてはいる問題。
これを深く考えていた訳です。
あたしは今までひとつの方向として、同じセクシャリティの人たちと助け合いたい、ということを理想として描いていました。
前回の日記にいただいたカエルさんのコメントで、実際それを実践されている方々がいると聞き、本当に心強く感じました。
それはもちろんひとつの理想として変わらないのですが、
それプラス違うセクシャリティの人、
つまり仕事場や地域においてのコミュニケーションをも積極的にとるべきではないのかと。
今まであたしはプライベートに踏み込まれたくない為、
カムするつもりのない人とはどこかで一線を引いて付き合っていました。
仕事場でもプライベートな付き合いはあまりせず、
目が気になるので近所付き合いもなるべく避け。
でも、救急車を呼び、仕事を休んで病院に付き添った翌日、
あまり付き合いのない近所の人が涙ぐみながら、『大変だけどがんばってね、なんでも言ってね』と声を掛けてくれ、
仕事場でも『必要あったら声かけてくれたら車とか出すよ。』
と言ってもらい。
正直涙が出ました。
心のどこかで反発してたマジョリティの社会、そこに属する人たち。
でも、生きて行く上で、まったくその人たちの力を借りないということは不可能でしょう。
一線を引き、なるべく関係を絶ち、自分達の世界に縮こまって生きようとどこかで思っていた自分。
それはかえってマイノリティの世界をよりマイノリティへの狭い世界へと追いやっている要因ではないのか。
そう思ったのです。
全ての人にカムをして生きて行こうとは思いません。
だけど、女がふたりで暮らしていても、一緒にいても、人目を避けてこそこそせずに、堂々と生きられれば。
ただふたりでいる、その事実を公に出来れば。受け入れてもらえれば。
周りをとりまくマジョリティの社会の中で、少しは楽に生きられるんじゃないかと思ったのです。
まあつまり、平たく言えば近所付き合い、社会での付き合いを大切にしようってことです(笑)
『遠くの親戚より近くの他人』ともいいます。
偏見を恐れて自分達の世界にとじこもらずに出て行くこと。
ただ意識を少し外に向けること、少し気のもちようを変えるだけのことなんですが、
これがあたしたちの、そしてあたしたちの社会の一歩になるんじゃないか。
そんなことを身に染みて考えたのでした。
とりあえず、明日、あえてエミナに母のお見舞いに行ってもらおうと思います。
これもふたりでいることを公に認めてもらう、小さな一歩なのかもしれません。
母も退院が見えてきて、ようやく落ち着いて参りました。
弱気にはなっておりましたが、だからといってビアンやめようとか思っている訳ではありません。
(ってか、やめようってやめられるもんじゃないし;)
もちろん別れようとかはさらさら思ってる訳ではありませんので!
いかにすれば、いざという時に少しでもつらい思いをせずに、ビアンとして生きていけるか。
なかなか答えの出る問題ではなく、だけどずっと考えてはいる問題。
これを深く考えていた訳です。
あたしは今までひとつの方向として、同じセクシャリティの人たちと助け合いたい、ということを理想として描いていました。
前回の日記にいただいたカエルさんのコメントで、実際それを実践されている方々がいると聞き、本当に心強く感じました。
それはもちろんひとつの理想として変わらないのですが、
それプラス違うセクシャリティの人、
つまり仕事場や地域においてのコミュニケーションをも積極的にとるべきではないのかと。
今まであたしはプライベートに踏み込まれたくない為、
カムするつもりのない人とはどこかで一線を引いて付き合っていました。
仕事場でもプライベートな付き合いはあまりせず、
目が気になるので近所付き合いもなるべく避け。
でも、救急車を呼び、仕事を休んで病院に付き添った翌日、
あまり付き合いのない近所の人が涙ぐみながら、『大変だけどがんばってね、なんでも言ってね』と声を掛けてくれ、
仕事場でも『必要あったら声かけてくれたら車とか出すよ。』
と言ってもらい。
正直涙が出ました。
心のどこかで反発してたマジョリティの社会、そこに属する人たち。
でも、生きて行く上で、まったくその人たちの力を借りないということは不可能でしょう。
一線を引き、なるべく関係を絶ち、自分達の世界に縮こまって生きようとどこかで思っていた自分。
それはかえってマイノリティの世界をよりマイノリティへの狭い世界へと追いやっている要因ではないのか。
そう思ったのです。
全ての人にカムをして生きて行こうとは思いません。
だけど、女がふたりで暮らしていても、一緒にいても、人目を避けてこそこそせずに、堂々と生きられれば。
ただふたりでいる、その事実を公に出来れば。受け入れてもらえれば。
周りをとりまくマジョリティの社会の中で、少しは楽に生きられるんじゃないかと思ったのです。
まあつまり、平たく言えば近所付き合い、社会での付き合いを大切にしようってことです(笑)
『遠くの親戚より近くの他人』ともいいます。
偏見を恐れて自分達の世界にとじこもらずに出て行くこと。
ただ意識を少し外に向けること、少し気のもちようを変えるだけのことなんですが、
これがあたしたちの、そしてあたしたちの社会の一歩になるんじゃないか。
そんなことを身に染みて考えたのでした。
とりあえず、明日、あえてエミナに母のお見舞いに行ってもらおうと思います。
これもふたりでいることを公に認めてもらう、小さな一歩なのかもしれません。