さくらんぼ♪ | 介助犬りんくう☆ブログ

さくらんぼ♪

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「もしも、りんくうが介助犬でなくなったら、育成団体に返さないといけないの?」

退院が近くなった日、リハビリの先生から、心配そうに、そう聞かれました。

りんくうに、介助犬の資格がなくなったとしても、私にとっては、立派な精神的サポートをしてくれるのではないか?

病棟医の先生からは、そう言われました。


その入院中に、私は再発予防のために、隔日ごとに、注射していたベタフェロンの、副作用である、肝機能障害が起きていることがわかり、即中止となりました。

再発予防の効果に期待して、教育入院してきたのに…

その入院中に、大きな再発して、より障害は進行してしまった…。

それに加えて、副作用が出たために、ベタフェロンは、今後は使えなくなってしまった…。

私は、精神的に、かなり落ち込んでいました…。

これから、病気はどうなっていくんだろうか?
障害は、回復するのだろうか?



でも…

回診に来て下さる主治医の先生から言われることは、「良くなることを考えるよりも、今日何ができるか?を考えてごらん。」という言葉でした。


今、私に、何ができるのか…?
消灯後の病室で、考えてみました。

その時の私には、『できなくなったこと』しか、見えませんでした…。


退院するに際して、ヘルパーさんに来てもらうこと。
また、在宅医療を導入して、毎日、訪問看護師さんが来てくれて、神経内科の主治医の先生が、往診に来て下さることになりました。


入院前は、車椅子生活でも、自分でできることが、多かったのですが、トイレの世話や、寝返りの介助など、家族に、24時間介護してもらうことになりました。

果たして、在宅での暮らしは、やっていけるのだろうか?


りんくうの世話も、それまでは、私自身が、できることはやっていて、トイレの世話以外は、食事の世話やブラッシングなど、自分で行っていました。

それも、世話のほとんどを、家族に頼ることになってしまいました。


介助犬がいることで、かえって、家族の負担になるのではないか?

そう感じたこともありました。


もしも、りんくうと離れることになったなら…

私は、親元を離れて、施設に入るつもりでいました。

これ以上、両親には負担を掛けられない。
と、思い詰めていました…。


私は、りんくうと出会ってから、目標を描いていました。

それは、車の免許を取って、仕事を持ちたい!
自分の力で、自立して、生きていきたい!

という夢でした。


そんな全てを、次々と奪って行く、病気が、憎かった…。

そして、たくさんの在宅介護のスタッフが、入れ替わりする毎日の中、人との関わりにも、疲れていました…。

一生、人の世話にならなければいけない体ならば、死んだ方がまし。

そうとまで…思い詰めるようになっていました。


今から、思えば、何て、自分が傲慢だったんだろうと思います…。

でも、あの頃は、感謝することも、今を生きていることの幸せも、少しも気付きませんでした…。


ある日、訪問看護師さんと、2人で、泣いて話し合ったことがありました。

「これ以上、私が、生きることに、意味があるのかな?」と…。

その時に、その訪問看護師さんから、こう言われました。


「りんくうは、どうするん?!」

「りんくうの、ママはあなたしかいないんだから、ママは、しっかりせなあかんやん!」

「かよちゃんが、そんな弱気言ったら、りんくうが、悲しそうな顔してるで。」


りんくうは、ずっと変わらず、私の側にいてくれました。

私が寝返りを打てないからと、背中の横に入って、私が、横向きで寝れるように、居てくれたこともありました。
(ただベットに、一緒に寝たかっただけかもしれないけれど…笑)

私が、車椅子に座ると、うれしそうに、シッポを振って、横に来るりんくうでした♪


訪問に来られる、ヘルパーさんや、訪問看護師さんの、話題のきっかけになるのは、いつも、りんくうのこと。

そして、いつも場を和ませ、笑いを取るのも、りんくうでした♪


「介助犬として、何をできるか?何をしたか?ではなくて、かよちゃんにとって、りんくうは、どんな存在なん?」


退院してから、訪問に入って下さっている、リハビリの先生から、そう聞かれたことがありました。


側で居て癒されるならば、ペットと同じなのではないか?

私が、りんくうといることによって、りんくうは、介助犬じゃなくなってしまうよ…。


そう言う私に、リハビリの先生は、こう言われました。


「先生は、たぶん、りんくうがいなかったら、今のあなたは、いなかったと思うよ。」


私には、せっかく訓練を乗り越えて、介助犬になれたりんくうが、私の元でいることで…、『介助犬でなくなってしまうこと』。
それが、りんくうに、とても申し訳なく感じていたのです…。


だけど…

退院したいと思ったのは、りんくうが居るから。
在宅で、暮らし続けたいと願うのは、りんくうと一緒にいたいから。

やはり、私は、本音ではりんくうと、一緒にいたくて、たまらないのです…。


その後、訪問診療、訪問看護、訪問介護、訪問リハビリのサポートを受けながら、在宅生活を続けました。
少しずつ、障害は回復して、電動車椅子で生活できるようになりました。

退院した3ヶ月後の春に、USJに、行けた時の喜びは、今も忘れられません!

りんくうは、隣りで、シッポをユラユラ~♪、左右に振りながら、私をサポートしてくれていました。


私は、生きてる!
生きてるんだ!

と、心から、幸せに思えました(^ω^)


その後も、何度か再発を繰り返しながら、その度に、在宅医療で、パルスの点滴を受けました。

今は、地域の24時間対応の在宅クリニックで、お世話になりながら、今年は、再発なし!で暮らせています。


「りんくうがいなかったら、あのまま、寝たきりになってたと思うよ。」

当時の、どん底の私を見てくれていた、リハビリの担当だった先生は、今は、そうおっしゃられています。


車椅子に座れるようになったのも、りんくうがいたから。

きっと気力が、病気を乗り越えてくれたんだ!と思ったり。

もしかしたら、りんくうパワー?

訪問リハビリでは、りんくうとボール転がしをしたり、りんくうの話をして、笑ったり、介助犬について、リハビリの先生に質問されたり、考えたり…。


私の病気は、疲れやすくなると、病気の再発を誘発するとも言われていて、無理はできません。

介助犬と生活することが、私の体の無理に繋がるのではないか?

りんくうと出会った年に、再発を繰り返したことで、主治医の先生から、そう心配されたこともありました。


だけど、私は、今、やはり、りんくうと一緒で、よかった!
と、心から思っています。



『今日が、ベスト。』

これは、在宅医の先生から、教えて頂いた言葉です。

人はみな、明日のことは、わからない。

健康な人も、明日、事故に遭うかもしれない、病気で倒れるかもしれない…。

生きるということは、未来を不安に怯えて、生きることでもなく、過去を悔やんで、生きることでもなく、今を笑って、生きること。

誰もが、今日、この瞬間しか生きることはできないのです。

今日を、丁寧に生きていくことで、きっと私の人生の道は、繋がっていくのかもしれない…。

今できることを、大切に、毎日笑顔で、これからも、りんくうと一緒に歩いていきます♪