カエルも授業受ける秋

 

 それは、四限目の授業までの時間を潰していた時のことだった。大学周辺の道を散策していた私は、ふと田んぼの脇の側溝に目をやった。すると、何やら跳ねるものがある。何者かと思いしゃがみこむと、それは体長二センチほどのカエルだった。アマガエルのような鮮やかな色ではなく、薄茶とこげ茶が混ざり合ったまだら模様の、少々控えめなコントラストの体色だ。

 恐らく、先日の雨で調子に乗って田んぼから出て来て、戻れなくなったのだろう。側溝に水気は無く、カラカラだった。ここ当面雨が降る予報はなく、このままでは干しガエルになるのがオチだ。流石にいたたまれなくなった私は、カエルたちを何とか助けることにした。とは言っても、今の私には網も虫ケースもない。

 ひとまず、跳ね回るカエルを、側溝の中まで降りて追いかけ回す。十分ほどの逃走劇の末、何とか一匹捕まえることができた。だが、そのカエルはすぐに私の手の平を蹴り、跳び出してしまった。やはり、何かとどめておく容器が必要だ。何とか使えるものはないかとカバンの中をひっかきまわすと、昼に飲もうと思っていた野菜ジュースが出てきた。この紙パックならカエルを数匹入れることは可能だろう。だが、今ここでジュースを飲み干すわけにはいかない。そこで目を付けたのが、紙パックが入っていたペットボトルケースだった。

 私はジュースをカバンに戻し、空になったケースを片手に再びカエルを追った。最初でコツをつかんだのか、うまい具合に一匹を捕まえた。逃げ出さないようすぐにペットボトルケースに入れる。そのまま、二匹目、三匹目と捕まえていったのだが、そこに今までのカエルよりやたらとどっしりした親玉のような個体が現れた。模様や形からして種類は同じだが、恐らくまあまあ育っている。私が手を伸ばすと案の定その親玉は跳び上がった。だが、その飛距離が今まで捕まえたカエルの比ではない。筋力も相当あるということだ。何とか捕まえようにも、勘も良いらしくすぐに行動に移される。もはや、私とカエル、どちらの体力が先に尽きるかという我慢比べのようになっていた。

 だが、私がそろそろ限界を迎えようとしていた時、一足早く親玉のスタミナが切れた。徐々にスピードが遅くなり、他のカエルと速さが変わらなくなってきた。自慢の跳躍を失った今、大きめの体は枷でしかない。動きが鈍くなってきたところをようやく捕まえることができた。

 その後、さらに二匹ほど小さめのカエルを捕まえ、側溝からカエルはいなくなった。問題は捕まえたカエルたちをどうするかだ。それに関してはすぐに答えが出た。私の大学には大きな池があり、カエル五匹が住むには十分な広さなのだ。

 私は早速大学に戻り、ケースの中身を池にあけた。カエルたちはそれぞれ水を得たカエルとなり泳ぎ出し、池の底に向かって潜るか、蓮の葉にしがみついてしばらくボーっとしていた。恐らく、この新天地でうまくやっていくことだろう。安心した私は、卒業論文のための調べごとをするため、図書館に向かった。

 一抱えもある辞書を繰っていると、本棚に立てかけておいたペットボトルケースが横に倒れた。すると、中から黒いものが跳び出してきた。「は?」思わず声が出る。現れたのは、あろうことかあの時、池に放ったはずのカエルだったのだ。どうにも捕まえた数と放った数が合わない気はしていたが、まさかケースの内側の破れた断熱材と外生地の間に潜り込んでいるとは思わなかった。

 とにかく、古くもろい資料も多いこの図書館で、湿気の塊のようなこいつが暴れまわることは防がないといけない。幸い、書架の本が入ってないスペースに入り込んでくれたおかげで、人知れず捕まえることができた。何とかもう一度池まで行きたかったが、あいにく次の講義が始まるため、四限目はカエルと共に授業を受ける羽目になった。

 最悪の事態は、出席確認も終わりこれから講義が始まろうとしたときに起こった。ふと、ケースの中を覗き込むと、さっきまでいたはずのカエルの姿が無い。まさかと思い当たりを見渡すと、筆箱をよじ登る小さな姿があった。慌てて手で押さえるも、私の手は虚しく宙をつかんだ。見ると、カエルは前の席の女子生徒の足元で我が物顔をしてふんぞり返っていた。最悪だ。ケースの内側を上ってカエルが出てしまったのだ。授業中である以上、立ち上がって追いかけるわけにもいかない。ただ、事の成り行きを見守るしかなかった。

せめてカエルが同じ場所にとどまってくれればよかったのだが、そう甘くはなく、カエルは後ろの方へと跳ねていった。私は講義中、気が気でなかった。

 講義終了後、右前の席の生徒が「カエル君跳ねてたね」と談笑しながら帰り支度をしているのを聞き、何とも申し訳ない気分になった。生徒と教授が退室した後、三十分ほど部屋の中をくまなく探したが、カエルが見つかることはなかった。だが、踏み潰された形跡もなかったので、開け放たれたドアから自力で退室し、校舎の外に出たのかもしれない。私には彼(彼女)の無事と生還を祈ることしかできなかった。

 あれから二週間経つ。あの時の日本語史の授業を、あのカエルも受講したのかな、と思ったりして、一人笑っている。

 

〈完〉