リヤカーのパン売り

 

 北風が強くなり、肌寒さを感じ始めてきた去年の暮れ。私は昼食にレトルトカレーを作っていた。湯煎して皿に流し込むだけの単純な作業でも、グルメを自称する自分なりの「こだわり」があった。(どうか笑ってください)白米とのジャストな割合で皿に盛りつけ、待望の一口を味わおうとしたちょうどそのとき、インターホンが鳴った。

 できたての一皿にしばしの別れを告げると、応対に向かった。インターホンに出てみると、見慣れた宅急便の配達員かと思いきや、カメラの前には見慣れない若い女性が立っていた。制帽を被っていないところを見ると、宅急便の新人というわけでもなさそうだ。「はい」と言うと、女性はにこやかなビジネススマイルで「この辺りでパンの紹介をさせてもらっているんですけども」と応えた。どうやら、この時代に珍しい訪問販売の類のようだ。私はひとまず祖母に対応をゆだねた。もしこれが化粧品の宣伝やインチキ宗教の勧誘なら文字通り門前払いしていたところだが、パンという言葉に私の心は揺らいだ。実のところ、私は毎日朝食に同じ食パンが出ることに飽きてきていた。ジャムやスプレッドのバリエーションも尽き欠けていたときにこの売り込みは、願ったり叶ったりだった。

 一方、祖母の方は珍しいパンの訪問販売に興味を持ちつつも、疑惑の目を向けていた。売っている品がどうとかではなく、相手が販売員であるかということを疑っていたのだ。この物騒な世の中では、訪問販売や配達員を装った強盗が多くあると聞く。流石にサスペンスの見過ぎではないかと思うのだが、用心に越したことはない。本物の販売員だった場合(ほとんどがそうだろうが)に備え、パンを選ぶ役として私も同行することになった。出来立てのカレーに再び別れを告げ、表に出た。

 結局のところ、寒風吹き荒む中ガレージ前で律儀に待っていたのは、サスペンスのような展開ではなく、予想通り普通の販売員だった。祖母は安心すると同時に一気に警戒を解いた。既に財布を取り出してまでいる。だが、私には一つ引っかかることがあった。

 こういった訪問販売は軽自動車や軽トラックのような車両で来るものだ。しかし、目の前の女性の隣には車ではなく、一昔前の物売りが引いていそうなリヤカーが停めてあった。そこに発泡スチロールの箱や銀色の保冷バッグが隙間なく積んである。食パンのようなレギュラーなものを想像していたが、どうやら、要冷蔵のパンのようだ。

 それはそうと、普通訪問販売に古風な手押し車なぞ使うだろうか。母の幼い頃には日常の一部だったと言われていたおでんやラーメンの屋台すら、私の世代ではもはや伝説と化している。そんな中でリヤカーのパン売りなどいるのだろうか。祖母も私も完全に思考が止まっていた。一方の販売員は「今こういったものをご紹介させていただいてるんですけど」と箱の一つを開けてビニールでカバーされたメニューらしきものを取り出した。

 そこには何ともメルヘンチックな絵柄でケーキやパンの写真と宣伝が書かれていた。祖母が「好きなん買ったるから選び」と言ったので見てみると、手のひらサイズのドーナツ型ケーキ五個入のアソートに二千円。小さなクリーム入りクロワッサンに三百五十円の値がついていた。いくら何でもこれは高い。だが、興味がある姿勢を見せた以上、今さら「要りません」とは言いづらい。仕方なくお試し気分でドーナツアソートを一セット購入することにした。

 だが、商魂たくましいというか口達者というか、そこですかさず販売員が「今ならクロワッサン五個で割引させていただいております」と売り文句を入れる。そして、祖母は昔からこんな売り文句に弱い。「クロワッサンも買っとき」こうして、二千円程度だった予算は五千円近いものになった。後は支払いを済ませ、また巧妙な売り文句を言い出さないうちに販売員にお帰り願えばよかったのだが、ここで祖母の「関わった人間に妙に親身に話しかける」という面倒な癖が発動した。「こんな寒い中大変やねぇ」「がんばればきっといいことがあるからね」などと労うような口調で販売員に語り掛ける。若い販売員は「はい、ありがとうございます」と頭を下げ、営業スマイルとも苦笑いともつかぬ表情を浮かべると、リヤカーを引いて去っていった。

 期せずして奇妙な訪問者を迎えることにはなったが、私は甘いパンを得て、とっくに冷めたカレーにようやくありつくことができた。予想外のことが重なり、昼食を終える頃には犬のすみれの散歩に行く時間になっていた。私はパンを味わうことを後回しにして、足元でそわそわしているすみれの要望を叶えることにした。

 夕暮れの公園を歩いていると、仕事から帰ってきた母が鬼の形相でこちらに向かってきていた。祖母から、昼間のパン売りのことを聞いたのだ。母は私が口を開く前に、昼間のパン売りについて問い詰めてきた。特に重点を置いて聞かれたのは、「値段」についてだった。やはり、菓子パンが一つ三百五十円というのは異常で、あのリヤカーのパン売りは押し売りの類だったというのだ。私と祖母はまんまと引っかかってしまったということだ。私がついていながらなんということだろうか。

 後悔と不安感に苛まれながら、私は家に帰った。冷蔵庫にうず高く積み上げられたパンも、今となっては嫌悪感の根源でしかない。だが、ネットで調べてみると、同様のパン売りに遭遇し、購入した人はかなり多かった。さらに、売られているパンは老舗が手掛けたかなり質の高いものらしい。しかし、その店舗を調べても、パンを売っていた社名とは違う。売り手と作り手は全くの別物かつ無関係だったということだ。 

 何とも煮え切らない気分になった私たちは、食後にそのパンを(文字通り騙された気分で)食べてみることにした。一口かじってみると、もっちりとしたデニッシュ生地に生クリームが絡んでよく合う。サイズもジャストで、クロワッサンと生クリームという組み合わせであるにもかかわらず、腹に溜まりにくい。悔しいが、売りつけられたクロワッサンは確かに絶品だ。私は思わず「これ、うまいな」とつぶやいた。母も「うまい」と言い、祖母も「うまいがな!」と叫んだ。食べ終わる頃には、誰も値段のことなんか気にしていなかった。ただ、何とも言い難い満足感がそこにはあった。

 もし、あのパン屋がまたこの街に来たら、我が家はきっと買うだろう。母に至ってはあれほど押し売りだ詐欺だと言っていたのに、次来たときの注文まで委託してきた。クロワッサンがあと百円安くなれば、私たち一家は間違いなくあのリヤカーの常連になるだろう。しかし、あれ以来あのパン売りを見かけることはなくなった。素朴な車輪が転がる音が聞こえる日を、私は今日も待ち続けている。

 

〈おわり〉

 

 

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