ライターのお仕事①~ライターになる前~ | 西道倫子オフィシャルブログ「RINKO NISHIMICHI OFFICIAL BLOG」Powered by Ameba

ライターのお仕事①~ライターになる前~

なんで、今の仕事をしているんだろう…


そう思わないことないではないが、


私にとって、今の仕事=ライター業は天職だと思う。


「好きなことを仕事にできるって幸せだよ、


100人にひとりいるかいないかだよ」


って。


まあ、それはどうかわからないけれど、


忙しくても、寝る時間がなくても、絶望的な気持ちにならないのは、


やってる内容が楽しいからだろうな、と思う。




そもそも、ライターなんて仕事、当時の私は知らなかった。


ライターの世界に足を突っ込んだのは、社会人2年目の夏。


読者モデルとしてよばれるうちに、


ちょっと話をするようになった編集部のスタッフの方が


ライターだということも知らず…


名刺をいただいてもじっくり読むこともなく、


単に「CanCam編集部の方(社員???)」という認識。


そのライターさんから、


「こないだアンケートに書いてあったこと、もっと詳しく聞かせて」


と連絡があった。


きっとそれがきっかけ。すべての始まり。





私は、ちょっとうれしかった。


スタイルがいいわけでもないし、顔がかわいいわけでもないし、


オシャレは好きだけど、オシャレなわけでもない私。


時々よばれる撮影は、ちょっとドキドキするイベントで、


大好きな雑誌の裏側を、ほんの少し感じられる瞬間。


誌面に出ることよりも、雑誌作りに近づけるのが楽しかった。


私のアンケートの何に目を留めてくれたのかわからないけれど、


なぜだか嬉しかった。





大学受験に失敗し、でも浪人することなく大学生になれたことにホッとした私は


本当に毎日、お気楽に暮らす女子大生だった。


恋愛至上主義だから、付き合っている男の子が最優先。


好きだったはずの勉強も、おざなりになり、


社会人への通過地点、というだけの学生生活。


そんな感じ。


家でご飯食べることもほとんどなかった。


毎日、合コンだったりデートだったりで


帰宅も深夜。


楽しかったけれど、もしかしたら空しさも大きかったのかも…


忙しくしないと色々考えてしまう。


考えてしまったら、悩んでしまう、悩みに気づいてしまう。


逃避だったのかも知れない。




バブルが崩壊し、就職活動も厳しくなり、


私たちの学年は、本当に就職難だった。


就職が大変なのがあたりまえ、という認識が浸透していなかった時代。


ある程度名の通った大学を卒業すれば、就職難とはいえ、


そこそこの会社には入れるだろう、時代だったから、


なかなか行き先の決まらない私は周囲の目が辛かった。


そして、結果は大敗。


資格の勉強にでも逃げようか、と考えていた。



「倫ちゃんの知り合いに、就職できてない人残ってないかな?」


卒業を2ヵ月先に控えるある日、そんな電話を一人家にいるときに受けた。


「探してみる」


と答えたけれど、友達になんと言っていいかわからなかった。


父親の遠縁の印刷会社。


本社は北陸。


東京に、支社がある。その支社への就職。


さすがに紹介するのも気が引けた。


全く何も決まっていない人も、さほどいない。


ちょっと待って! 気づけば…自分ひとりかも。




卒業旅行へ旅立つ日、私は成田から電話した。


「私でよければ、私で」


と。



そうやって、とりあえず、4月からの就職先は決定した。


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…長くなりそうなので、ひとまずこの辺で。


ライターになりたい、という方から、コメントを頂き、


きっかけなど、いろいろ思い出し、文章にしてみようと思いました。


話だけでなく文も長めな私の、とりとめのない昔話。


オチもないし、当然ドラマティックでもありません。


ライターになること、ライターの仕事に興味がある方、


暇を持て余している方。


気楽に読んでみてください。