ヤギのユキちゃん(八幡様)と着ぐるみゴマちゃん(白山神社の姫神様)

 車から降りるたびに私のバックに入っていただいて

 ご満悦な 三社巡りの旅。

 

 

残念なことに息栖神社は以前のような

ど真ん中の渦巻きのようなエネルギッシュな感じはありませんでした。

個人的にはここをお守りしている人間に少々問題があるのでは?  と・・・

 

目があったこの御眷属にお願いされて

 新鮮なお水を購入して ザブザブと水浴びをしていただきました。

このために寄ったのであれば それはそれで 大満足ですーー!

 

 

お喋りが止まらないお稲荷様たちwww

お参りしてるのに喋りっぱなし。 しかも言葉がわからない ((´∀`))

大好きな香取様の参道。 だーーれも居ない参道。

(ピンポイントで倫恵の個人的大好きスポットはここ)

 

奥の宮の荒魂様にご挨拶できてスッキリ(⋈◍>◡<◍)。✧♡

うん。その 時 が来たらきっと皆とまた参りますからね。 

 

車車車車車車車車車車車車車車車車車車車車

御手洗の女神様から鏡のプレゼントも頂戴しました。

気分もスッキリ心も満杯。 達成感120%の帰り道。

 

高松八幡様で一柱神様お送りした後、道を間違えてしまって

慌ててUターンです💦( ̄▽ ̄;) 

目には見えなくても お約束した以上はしっかり送り届けなければななりませぬ。

 

大きく引き返して 白山神社までお送りしまた。

 

次の日の朝、白山神社の神様がお越しになられてお話くださいました。

「姫神」と呼んで と仰るので そうお呼びすることにします。

 

ふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイング

 さて、人間には牙があるのを知ってるか?

 

 その牙を正しく使いこなせている者は果たしてどれだけ居るのだろうか。

 

  牙は喧嘩をするために持っているのではない。

   冷静に何が悪いのか? どこがどう違うのか?を諭し

   叱るときにこそ使用するもの。

 

 ここだけは譲れない、自分自身の尊厳にかかわることであったり

 大切な他者を守るためであったり

 何度考えても その行為は人の道に外れていると判断した時など

 そういう時にこそ己の牙を使う時であり

 その時は確固たる信念をもって使用するもの。

 

 年がら年中誰彼構わず、子供や自分より下の者、弱い者に対して

 牙を出しているのは愚かな行為と言えよう。

 そういう使い方をしていると、牙はどんどんと錆びていき、

 イザという時に使い物にならなくなったり

 牙と自我が一体化してしまって 常に牙を出しっぱなしで

 生きていたり・・・・

 

 生涯で、牙を出す事態はそうそう何度も無いもの。

 

 一人ひとつずつこの世に生まれてくる時に持たされる牙は

 何年もかけて磨きをかけているのだけれど

 その人人で価値観が違うように 牙の形もまた違うもの

 

 生涯で一度も使わない者も稀に居るが、数回しか使用しない者

 使い過ぎてしまう者 それぞれだけど

 牙はなるべく使いたくない、使わない人生を創りたい。そういう者もいる。

 

 業の深さやカルマの数などでまた違うものではあるけれど

 ここでいうところの牙とは

 そういった己の感情で創っているもの、と捉えてほしい。

 

ふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイング

  あえて感想は記しません。

  捉え方はそれこそ人それぞれですもんね。

 

  白山神社の姫神様には俄然 興味シンシンになったので

  近々お逢いしに行ってこようと思いますふんわりウイング