喜多由布子『凍裂』
何の変哲もない、キッチンの写真。
そこに入った大きな亀裂が印象的なこの本の表紙。
タイトルから幸せな話じゃないことは分かるけれど
それよりもなによりも、冷たささえ感じるこの表紙。
一気に読みたい衝動に駆られて・・・
そして、一気読みしました。
ある日、妻が夫を包丁で刺すという事件が起こる。
事件の当事者であるこの夫婦、水原家は立派な一軒家に住み
妻は「美人料理研究家」として、TVや雑誌に忙しい毎日。
夫はそんな妻のために、キッチンをリフォームしてやり・・・
と、幸せいっぱいに見える妻が、夫を刺した。
この本のおもしろいところは、
事件が起こる。そしてその事件を7章に分けて書いてるところ。
7章=7人の、それぞれの視点から見た事件が書いてあって・・・
夫の、同僚。
事件を担当する、刑事。
夫婦の、娘(大学生)。
妻の、弟。
大スクープを狙う、ジャーナリストの女。
夫婦の、息子(中学生)。
妻を弁護する、女弁護士。
それぞれの視点から描かれてるから、面白い。
面白いんだけど、だからなかなか真相にたどりつかない!
読めば読むほど、事件を起こした妻、睦子はとてもいい人で
誰もが(一部の人間を除き)口をそろえて言う。
あの人が、こんなこと、するわけない。
↑これ、リアルな事件でもよく聞きますね。
夫の同僚の章では、料理好きで、穏やかで優しい雰囲気が
刑事の章では、事情を聞いた夫の母親の言葉から
嫁、姑の関係がうまくいってないことが、
娘の章では、ちょっと娘のことを心配しすぎな点が、
弟の章では、姉の、決して楽ではなかった幼少期~結婚までが
ジャーナリストの章では、睦子が開いていた料理教室の生徒たちが
とっても睦子を気に入り、気に入られていること。
その真逆で、それを面白くないと思ってる、ねたみの塊。
息子の章では、自分の前でだけ、父親は母親を馬鹿と罵ること、
そして弁護士の章では、夫・勝一がに、人格障害があることが。
じわじわと分かってきて。(この構成がホントに秀逸だと思う)
最初は、「堅いお母さん」というイメージだったのが
読みすすめていくうちに「女神」のような女性にかわり
決してお涙ちょうだいな文ではないのに、気づいたら涙が出てた。
というのも、睦子が、娘や息子の友達、料理教室の生徒たち、
または夫の部下に対してかける言葉や、雰囲気、心遣いが
温かくて、自然で、こんな女性になれたら・・と思わせてくれる。
だから、余計に、なんで夫を刺したりしたの?
あの日、何があったの?
・・・ってぐいぐいストーリーに引き込まれ・・・
はい、作家さんの思うツボ(笑)
この本の根底には
「自己愛性人格障害」と「モラル・ハラスメント」があって。
自己愛~は、共感性がなく、特権意識を持っている。
過剰な賞賛を要求したり、他者への思いやりの欠如、というよりは
他人がどれほど苦しもうと意に介しない。
そして、これらのすべてに「罪悪感」を感じない。
モラル・ハラスメントは、ことばによる暴力。
傷を伴う暴力をふるわないかわりに、ことばと態度で人の心を傷つける。
心身が壊れるまで貶める精神的暴力。
夫・勝一は、一代で財を築いた両親からの、歪んだ、過剰な愛情によって
自分は特別な存在だと勘違いして生きてる。
他人はみんな母親のように自分を扱ってくれると思い、妻は自分の
所有物であり、人と思わないから、自分に不利益なことをするのが許せない。
(不利益といっても、仕事をすることで自分の世話を前ほどやけないとか)
睦子は、ずっと夫に「馬鹿」よばわりをされて、対話ができない。
自分が大切に育てている花を勝手に刈ったり
(もちろん、嫌がらせ。・・・子供でもしないよ、こんなこと!)
仕事の伝言を伝えない。
休みの日は1日中家に居て、妻を監視する。
そして、自分の部屋は掃除するな!といっておきながら散々散らかして
母親や他人に見せ、「妻は仕事が忙しいから掃除もしてくれない」
と、嘆く。
こんな生活は、地獄だ。
わたしなら、耐えられない。
さらに地獄なのは、このことを姑や娘に相談しても
「そうさせてる自分が悪い。態度を改めろ」と一蹴されること。
姑はまだしも、自分の血を分けた娘にも分かってもらえないなんて。
でも、それでも、軌道にのってきた料理研究家としての仕事も
夫の世話も、夫の父親の介護も、身体が壊れる寸前まで頑張って・・・
そして事件当日。
介護してきた義父の葬儀の日。
立っていられないほど体調をくずしている睦子に、夕食を作れという夫。
「今日だけは店屋物か外食を・・・・」とお願いした睦子に対して
「飯を作るしか能のない馬鹿が、偉そうなことを言うな。」
「しょせん、お前は他人だから、父親の死は悲しくないだろう」
他人。
ずっとずっとガマンしてきたのに、耐えてきたのに
「他人だから」っていう、氷のような言葉で、睦子は裂けてしまった。
タイトルの「凍裂」っていうのは、厳寒期に樹木の幹が轟音とともに
割れること。幹内の水分が凍結し、膨張することで樹が裂ける・・・
あの日、あの言葉で、睦子は音もなく、凍裂した。
そして、衝動的に、夫を包丁で刺した・・・・・・
もうね、本の中の出来事としても、睦子があまりにもかわいそうで。
息子や娘が必死で集めた嘆願書の効果もあり
執行猶予つきの判決がでた睦子。
これからは、あんな夫は見限って、幸せな人生を送ってもらいたい。
↑だから、小説の中の話だって(笑)
長々と読んでいただき、ありがとうございました。