1月31日はキャンプ場で月食を観察する予定でした。

しかし曇り予報に怖気づいてキャンプ予定地近くのホテルに宿泊することにしました。

千葉県は旧佐原市、現在は合併して香取市となりましたが、伊能忠敬さんの史跡があります。

 

ここまで圏央道一本で行けるようになりました。町営の駐車場に車を止めると隣は伊能忠敬記念館です。

そして記念館手前にある象限儀。

覗けるようになっているので夜は北極星でも見えるのかと思いきや、そもそも北を向いてません^^;

 

覗くと伊能忠敬さんが見えます(笑)

 

 

旧宅

 

御用測量方の旗

 

記念館の中は写真撮影禁止なので、以下文章でお伝えします。

 

その時代、暦を司っていた朝廷の土御門家が日食の予想を外し、幕府天文方の権威が上回ったそうです。

天文分野で考えると、伊能忠敬さんは造酒屋の隠居さんですから、幕府(官僚)どころかただの民間人です。

50歳のときに江戸に出て高橋至時(31歳、民間人だが幕府から改暦を依頼されている)に弟子入りします。

財力はとてもあったので深川に構えた自宅に天文観測所を作ります。

太陽の南中時刻、緯度測定、日食、月食、星食、惑星食など晴れていれば毎日観測したそうで、金星の南中を日本で初めて観測し師匠に報告して実力を完全に認められたと記念館のビデオで見ました。

 

天体観測を通じて地球の大きさを測りたかったため(このへんはコズミックフロントでもやってましたね)、自宅から至時のいる暦局まで歩測で計算してみたりしていたそうです。

これに対して至時は、幕府に無断で江戸を測量してはいけない、と叱責したとか。ただし、それくらいの短い距離では誤差が大きいので蝦夷地まで離れて測れば正確な値が出ると提案もしたそうです。

 

当時ロシアが蝦夷地を狙っていたので幕府は対応を迫られており、にもかかわらず正確な地図もなかったことから、蝦夷地の地図作成の命令が至時に下ります。これを受けたのが伊能忠敬でした。幕府はそれほど大した成果を期待していなかったのでこの大仕事に対して20両しか与えません。不足の80両は忠敬さんの私財持ち出しでした。

 

それでも念願の子午線1度の長さを公に測量できる機会を得てとても嬉しかったようです。

地図作成の名目を借りて求めた緯度1度分の距離は28里2分で、ラランデ暦書の値とほぼ一致し測量の正確さが示されました。

 

測量を終えて出来上がった地図には幕府が驚き、関西、九州方面の地図も依頼されるようになります。

屋久島や種子島の測量は九州初回に船が出なかったため(悪天候)、九州遠征2度目で実施、とても大変だったそうです。

 

このころになると伊能忠敬さんと測量隊は有名になっており、全国の海岸線に現れるので、たくさんのエピソードが各地に残っているみたいです。伊能さんに三角関数を教わろうとてぐすね引いて待っていた宿屋主人もいたとか。

 

記念館で見たものの中では、垂揺球儀という重力式の正確な時計が印象に残りました。

天体観測には正確な時刻が重要ですが、あまり時刻に関した展示物を見たことがなかったので新鮮でした。



 

ホテルに帰って思いがけず好天で月食の撮影ができました。

部屋が南向きの2階で窓からの観望、撮影でした。

 

満月なのにかに座のプレセペが見えるっていいですよね。