RINGSTARS日誌
A☆YU☆MI対中川のX-LAWタイトル戦は6・5ロペスマテオスにて行なわれた。

中川は試合中、またもマスク剥ぎに出たが、A☆YU☆MIは惑わされることなく

2-1で防衛を果たした。

立会人を務めたロッキー・サンタナ(ニセ大仁田)がベルトを腰に巻いて

手を挙げて称えた。

A☆YU☆MIは「公約通り、日本にこのベルトを持ってみなさんに披露することが

できます」と喜びのコメント。

中川は「レフェリーとグルなんじゃないのか」と怒りをあらわにした。


このメキシコ滞在中、あるお話が僕のところに来た。

たぶん、年内にまた来ることになるだろう。

これまで何度も行く機会がありながら、10年以上に渡って訪れる

ことのできなかったメキシコ。それが年に2回も行く機会ができるとは。


そういえば9月には再びアメリカに訪れる予定だ。アメリカの

女子団体・シマーへ日本人選手が再び参戦する。

メンバーはまだハッキリしていないがおそらく、前回の4選手と一緒になる

んじゃないか。このメキシコ滞在中に、ある選手から「自分もアメリカに

行きたい」と立候補があった。

これから話し合いになるがおそらく一緒に行くことになるんじゃないかと

思う。アメリカ、そしてメキシコ。日本人女子レスラーはどんどん海外で

試合をして、今しかできない経験をしてほしいと思う。



メキシコ行きの理由は栗原あゆみ2度目のドラゴマニア出場だ。

アレナメヒコという、2万人近い収容能力を持つ、メキシコ最大の

会場に立つのがどれだけ栄誉あることか。

とはいえ、実際に見ていないのだから、これは体感するしかない。

昨年初参戦を果たした際、栗原は「夢の舞台、夢の空間」と称した。

その「夢」を日本に紹介することことが、僕の目的だ。


さらに同日、A☆YU☆MIがX-LAW女子王座決定戦に出場する。

さまざまな要素が今回の遠征には詰まっていた。


メキシコではHIROKAやダミアンが快く迎え入れてくれた。

日本では彼らと何度も何度も食事にいき、空港に送迎し、ジムや

買い物に付き合った。

彼らはそれをとても喜んでいてくれたらしく、逆の立場になると

時間の許す限り、付き合ってくれた。

これは異国の地で本当にありがたかったことだ。

僕はメキシコは初めてでスペイン語もろくに知らない。

それだけに親身に接してくれた二人には感謝しかない。


一度、栗原がお腹をこわしたことがあった。

HIROKAにそれをメールして「薬をもらえないか」と頼んだら、

我々が試合後ホテルへ帰るまでにわざわざロビーに

持って来てくれた。

ホテルのフロントで薬を渡されたときはちょっぴり感動したものだ。


栗原の試合は2試合。さらにA☆YU☆MIが3試合を行なった。

6月に入ってからは、中川ともかが栗原を追ってメキシコ入りをしてきた。

彼女の栗ハンターぶりには執念を感じる。

現地に入った翌日、僕はさっそく彼女とコンタクトを取った。

「A☆YU☆MIがXーLAWを取ったことが気に食わない。ハードコアと言ったら

自分が巻くべきもの。自分が挑戦してベルトを巻いて日本に帰ります」と言う。


栗原と中川の関係に関して、いまさらいうまでもない。

4月にアメリカ遠征をした際も栗原、中川、松本浩代、大畠美咲の

4人一緒に撮影する際は十分気を配った。

本人たちは決して口を開くこともないが、周りにその空気も伝わるから

なるべく隣り合わせにしないように配慮したものだ。


中川は6・3ナウパルカン大会で、A☆YU☆MIとのカードが組まれ、

ここで試合後マスク剥ぎの暴挙に出た。


このときのマスクはメキシコの国旗をあしらった特別のもの。

破られたA☆YU☆MIは怒り心頭。

その場で「タイトル戦、挑戦を受けます!」と宣言した。

中川にとってはしてやったり。


アメリカのシマーでは第一戦が両者のシングルだったけど、

メキシコでは結果的に2連戦、うち一つがタイトル戦という

状況となった。


それにしても困った公約をしてしまったものだ。

メキシコでブログやツイッターなど、雑誌のPRとして、

新たなるコンテンツをはじめることにしてしまった。

僕は全くのアナログ派。というよりも読む行為自体を

紙以外ですることがいまだになじめない。

雑誌や本を生業としているだけあって、今もって

この感覚は変わらない。


メキシコは5月26日から6月10日まで約2週間滞在をした。

何気にメキシコは始めての経験だ。

実際の話、これまで何度も行こうと思えば行ける国だった。

レディゴン時代には、何度となくアルシオンの選手や小川社長(当時)

に同行することができたが、結局1週間以上、会社を留守にすると

雑誌を作る機能が麻痺してしまう。

ぶっちゃけ、編集部で編集者は僕一人だった。

だから、海外のみならず、北海道とか、九州とかでもほとんど行く機会はなかった。

月一冊の本を出すためには、毎月締め切り前の1週間は会社に泊まりこんで

の作業が常だったのだから仕方ない。

もっと手を抜けばよかったのだけど、情報を誌面に詰め込むつくりを

するのが僕のスタイル。だから編集にはとてつもなく時間ががかる。

それに週刊ゴングやゴング格闘技と違って、バイトとかも雇えない。

だからメキシコに行く機会は記者やフリーのライターに依頼ばかりしていた。


あれから10年の月日が経った。


仕事上、今はガムシャラに編集したり、発刊しているわけではない。

また普段からお世話になっている大川カメラマン夫妻からも

「一度は経験したほうがいい」とアドバイスをいただき、

初めてのメキシコ行きがようやく、現実のものになることができた。


これまでHIROKAやダミアン666、マスカリータドラダやマルセラといった

選手たちが来日する度に僕がお世話をしていたことで、HIROKAからは

何度もメキシコに来てくださいとお誘いを受けていた。


しかし本当に行くことになるとは当日まで半信半疑だったのも確かだ。