聖徳太子が生きていた頃

私は飛鳥で卑弥呼の役職をしていた時

私は聖徳太子と共にいたと思います

共に事を成した感覚がある


(この時の過去生については

優香さんのセッションでゼウ氏から教えてもらいました)



それを知ってから

聖徳太子と私に関係があったのか

どんな関係だったのか

自分なりに探したけど

最終的な答えが見えずにいました

いつもは答えははまるのにと思いながら


そして混沌とした思いに駆られ

なのでそのまま放っておきました




昨年の4月に奈良・吉野の蔵王堂金峯山寺へ行き

聖徳太子像から

「やっと来たな」と言われました


娘が昨年4月から京都の大学に入り、娘の新生活のために私も京都へ来ていて

その時に初めて奈良へ足を伸ばして


この時の奈良旅は役小角を巡る旅と自分では思っていたけど

それだけでは無かった様で

2/9のTOMABOX奈良ツアーに参加してからは

今はそう感じています




聖徳太子はチームだった

そう、とおまさんから聞いて納得できた


聖徳太子との関係について答えを探していた時に

私が聖徳太子なのか

聖徳太子が私なのかという感覚?意識?

があって

だけどぱつっとはまる答えには辿り着かなかった


聖徳太子の名前が伊織と聞いて腑に落ちた

そう、伊織だ・・・・・

イオリという呼び名がしっくりきた


その後の伊についてのとおまさんのブログを読んでとても腑に落ちて


ブログに書いておこうと思いました


聖徳太子が生きていた頃に

私が卑弥呼の役職として生きていた時

私の弟の名前がイヤサだった

弟の名前もまた伊で始まっていた

私の名前を聞いたけども、知る必要無いと私の名前は教えて貰えなかった


私が卑弥呼をしていた時

元々は出雲で神がかりの巫女をしていて

その伝達役を弟がしていた

その後私は飛鳥へ呼ばれ

弟とは出雲で別れたそれきりとなったけれど

今世であの時の弟が、今の私の守護をしてくれているそうです




自分の過去生を書くことが

なんだか色々マウントをとっている様な気がして

ブログを書くことが出来ずにいたけど


今はブログは書いてないんです、とある方に言ったら

じゃあきっとまたいつか書き始めるのね、と言ってくださって

その方の言葉があって、ブログを消さずにいました

(たいしたブログも書いてきてないけど タハハ)



今日仙台は雪で

雪降る中の街灯を仕事帰りのバスの中から見ていて

私は今までいろんな方のブログでの写真や言葉から

その他モロモロから

自分を見つけ出してきました

それは自分の過去生を思い出すことでもありました


じゃあ

私が知っていることを、思っていることを、考えていることをブログに書くことによって

思い出す人がいるかもしれないって

そんな事もあるかもしれないって

ふと思ったんです



あの時の聖徳太子のチームの人たちは

私のブログなんて知らずとも

思い出してるとはおもうけど


ブログ続けて書くかは

どっちらちんな感じですが☺︎



ちなみに

あの時の聖徳太子のチームの人たちが誰だったのか

奈良ツアー終えて仙台帰ってきて

分かったちゃいましたよ✨ニヤリ