前回からシンプルに日々の感じたことを綴っていけたらなあと思ってます。
伝えたいことが感覚的に溢れてて
ただそれを表現したい私
。

ただ今はそうなのだ。
今日は病院にいる母のところに行ってきて、なんとも温かい時間。
20年前の父の写真やら家の写真を持ってって一緒に眺めてた。
ピッチピチの父がとても新鮮で、ベットサイドの棚にテープで不恰好だけど貼り付けてみる。
見上げるように眺めては嬉しそうな顔をする母の顔を見て
長い間痛みのようなものだった親子の記憶がふわーっと気体にかわったようだった。
なんとも不器用なこの人は(母)
父が亡くなってから
寂しい気持ちをなかったことにして、湧き出る気持ちが何かに気がつかずに
私から私の気持ち(関心)を奪うことで埋めていたのだなあと。
仲良くしたいって言えなかったんだよね。

余裕のない私は心に鉄壁を作らないとダメになって
母の言葉をだんだん心に響かないように
言葉は記号でしかなくなって
なんとも心がそこになかった。と今そう思う。
今が苦しいと、
ずっとそうであったように感じるし
これからの未来もそうなんだろうと余計に思考は固定され
物事のある一定方向しか、悲観的未来しかみえずに軽く絶望する。時々はひどく絶望する
。

分かり合えることはきっとないだろう
意識や感覚、思いの違いはあっていいもの。
だけど、その時何か優しかった母の側面がふわっと私の中に沸き起こって、ただなんだか小さな頃のとても好きだった頃の母に会えた気がした。
全体的には毒親度特急の母だったけど
それしかできなかったのだから。
いてくれるという存在のありがたさ。
今いてくれたから優しい気持ちが蘇ってきた。やっと私を許してもよいのかなと思えた日でした。
結宇