「とかなくてしす」

いろは歌からの文句です。

 

いろは歌の作者も不明。

平安時代にどこからか湧いてきた歌。

柿本人麻呂作という意見もある。

ありえる話。

 

柿本人麻呂が残したものは多い。

しかし、経歴は不明。

 

誰かが意図して事実を隠したような感じ。

だぶん、不比等たちだろう。

古事記編集の方針に逆らったためか。

 

出雲口伝によれば、天武天皇の子だけど認知されていないとか。

大海人皇子の乳母の家が、柿本人麻呂の母の里と関係ありとか。

成人に達したころ、皇子が都に呼び寄せたとか。

学問に熱心で、一度聞いたことや目にしたことを暗記できる能力があったとか。

 

仏教の本や儒教の四書五経も読んでいたのではないだろうか。

漢文に精通していた。

その上に、ヤマト言葉も巧み。

民間の歌謡にも詳しかったようだ。

 

天武帝の時代、

全国の歌謡と楽器奏者を集め学校をつくっている。

それなどにも関係していたのではないだろうか。

音楽学校の始まり。