大量の公文書破棄。
終戦前夜のことです。
近くで言えば、森友関連文書の破棄もある。
しかし、古代には、もっと大規模な記憶の破棄があった。
邪馬台国もヤマト朝廷も阿波にあったということ。
私たちが知っている歴史には、かなりの嘘がある。
最大の嘘は、奈良の都のうそ。
飛鳥も甘樫丘の蘇我の、すべて嘘。
聖徳太子は阿波の生まれで墓も阿波にある。
710年に奈良への遷都は、元明天皇にとってパンジージャンプのような大決断だったようです。
アマテラス神が、あしはら中つ国(阿波)を治めるようにと命じられたことに反するからです。
しかし、大地震と高潮で阿波の藤原京が大被害を受け、
しかたなく遷都したという。
吉野川の河口近くにあったヤマト朝廷と貴族や商人や技術者たち、
そして神々も神社も、すべて連れて遷都したという。
地名まで、阿波の地名をそっくりそのまま、全て移したという。
こんなことができるのですね。
記紀の改ざんなど容易いことだったのです。
すごいことです。