人なら死期が分かる、と書いた。
しかし、実際のところ、死期が分からない人が多い。
私の父もその一人。
死ぬ前日でも、平気な顔をしていた。
生涯、死など考えない人だった。
自分だけは死なないと思っていたのではないか。
94歳で亡くなったが、病気で悩まない人だった。
思えば、健康に恵まれていた。
塩分や脂肪の多い食事が好きで、
ヘビースモーカーでアルコールも大好き。
それでも長生きした。
世の人の大半は、死など考えないで生きている。
遊びは好きだが、内面とかに関心ない。
おもしろおかしく前日と同じように毎日が過ぎれば、
それで満足というのが普通の人だろう。
人が生きるとはどういうことか、
この世の真実、などと、真剣に悩むことがない。
私は死期が分かると思う。
なぜなら、若い頃から内面と向き合っているから、
私の瞑想は、内面との対話。
内面のかすかなメッセージに耳をすまし、感知する。
瞑想歴は約50年になる。
その結果、悟ったことは。
こころや精神なるものは、どこにもない。
人の内面にあふれる思いは、一時の現象。
流れ去り、ある時はよどみ、常に混沌としてカタチもなく、
水面に浮かぶ泡のようなもの。
とらえようとしてもダメ。
実体はないのだから、
変幻自在。
あるようで、ない。
それが人のこころや精神。
だから、最近では、こころとの対話ではなく、
身体との対話に切り替えている。
こころや精神がないと知ってから、
肉体との対話に移行している。
だから、今、私の瞑想は、肉体との対話。
身体のひそかなメッセージを感じる、それが対話。
私の瞑想では、複式呼吸の技が役立っている。
瞑想に入ると、
身体の中心に熱が生じる。
背骨と下腹部があたたかくなる。
とても気持ち良い炎が生まれる。
そして、全身を炎の熱が走る。
つづく