意識は何故生まれるのか。
私の答えは、生きものである個体の統一性を維持するためです。
個体の行動は不断に選択を求められる。
例えば、分かれ道で、どちらに行くか。
危険が迫れば、逃げるか、戦うか。
その時、過去記憶と現在の入力情報を総合して判断する。
この判断の際、意識が必要となります。
今の状況の全体像をいっぺんに把握する能力。
なので、中枢神経系のある生きものは全て意識がある。
例えば、蟻の意識は、嗅覚が中心でしょう。
意識は生きもの個体に特有な世界。
すべての個体に固有の世界です。
個体が死ねば、当然意識もなくなり、個体の世界も消えます。
人の場合、意識は多様で複雑。
意識されない記憶が圧倒的にある。
人は例外なく、今、自分が何故、このような好みや趣味や嗜好を持っているのか、知らない。忘れ去った過去が膨大だから。
人の行動を支配する大きな要因は、思い入れや思い込みや先入観、誤解や錯覚です。
現状をありのまま、正確に認識することは人に不可能です。
なぜなら、そこまで可能な程の情報処理能力はないからです。
ある時の印象は強く、ある時の刺激はほぼ無視される。
その選択の多くは無意識から生じる。
人の欲は、性欲や食欲のように単純ではない。
自分が本当にしたいことが何か、全く分からないのが普通です。
そのため、依存症などに陥いります。
自我や私や自分という概念も非常にあいまいです。
私は瞑想を40年以上やっています。
私の瞑想は内面との対話です。
内面の自分が、こころの底で何を欲しているのか、自問自答してきました。
その結果言えることは、こころや内面や精神、自我、自分というものは、どこにもないということです。
自分が何故、こんな個性なのか、その理由も不明なままです。
何をしたいのか、正確には分かりません。
私の偏執な思い込みや思い入れを除けて、ものごとを見ることも不可能です。
意識は個体が生きるために必須の条件です。
今、この瞬間の選択が出来なければ、生きものは生きていけない。
捕食者が近づいてくれば、逃げなくてはいけません。
この判断をするのが意識。
人の場合、頭があるので、意識は行動の合理化に使われることが多いようですが。
極論を云えば、意識がつくる個体の固有世界は幻覚のようなもの。
なぜなら、客観世界の実像がそのまま、ありのままに意識に映ることはないから。
全て、個体の過去体験による検閲を経て、歪められた世界になっている。
いわば、幻想やマボロシのようなものです。
思いつくままに書きました。