質問「これを知らずに生きていくのは可哀想と思える真実、何ですか?」

 

死を恐れている人が大多数です。

しかし、人は死を体験することはできません。

たとえ、生きている間、死ぬのは苦しいことだと不安や心配があったとしても、

死の瞬間に、苦しさはありません。

 

私の友人の内科医師は、高速で車を運転しているとき、胸が苦しくなり、

パーキングに止め、休んでいるとき、隣に乗っていた奥さんに、

「心臓が止まる」と訴えて、そのままになりました。

 

苦しみはなかったと思います。

心臓が止まり、血液が流れなくなると直ちに酸欠となり、

意識はなくなります。

苦しみを味わう暇はないのです。

 

私は、こういう死に方はしたくありません。

少なくとも数日前に死期を感じ、

死に向かってこころの準備を終え、

気持ちいい死を望みます。

 

生きることは、もちろん、いいことばかりです。

しかし、その責務は重い。

限られた能力や環境や状況の中で、

常に良い生き方を目指して最善を選択していくという人生の重荷です。

死によって、ようやく、その重荷から解放されます。

たぶん、非常にほっとすると思います。

 

死は、自分や私という閉じられた自我の牢獄からの解放です。

非常にほっとできる、完全な安心の実現です。

 

人は死を体験することはできません。

しかし直前まで意識があります。

ほっとするという体験は可能です。

 

死、そのものは、意識がないので、何も感じることはないでしょう。

眠りに陥るときと同様です。

 

死を怖がるのは、馬鹿げています。

 

生きることは苦だという人もいますが、

人生の一面しか見ていません。

私は違うと思います。

 

生きものはすべて、快を求めて生きます。

与えられた状況、場で、最大の快、満足、気持ち良さを求める選択を行います。

選択の多くは、頭で行うよりも、肉体・身体・心身で行うものです。

頭で考えるのは、後からの理由付けです。