イノチより大事なもの、
それは、生きものが感じる快感・気持ち良さだろう。
胎児も母親のお腹の中で、
指をしゃぶるという。
すでに唇の快感を学んでいる。
赤子にとって、出生後、一番大事なことは、
母の乳首に吸い付き、乳を味わうこと。
人間の生きる力はここから始まる。
母の乳首と唇の快感、
そして母に抱かれる安心感。
生後数日で赤子は母の匂いを識別できるという。
勿論、母も子の声や匂いを識別できる。
生きものの生命力は、この快感だろう。
心地よい、気持ちいいという感覚。
お腹が空いても、緊張していると空腹は感じない。
緊張が解け、安心感に包まれると、
何か食べたくなる。
エネルギー源を補給すれば、
また体力が戻ってくる。
エネルギー源は何でもいい。
食べれるものなら何でも。
食べれるものを美味しく感じる。
生きものの生きる能力。
マズイものは、たぶん、肉体が欲していない。
肉体が必要とするのは、皆、美味しい。
生きものの本能。
中には、もっと美味しいものがある。
猿は熟して発酵したブドウを食べて、
酔ってしまう。
人もまた酔うのは好きだ。
発酵食品が身体にいいのを本能が知っている。
しかし、いくら身体に良くても、食べ過ぎは良くない。
食べ過ぎると、消化能力を超えてしまう。
人の身体は、全能ではないからだ。
いくら気持ち良くても、
やり過ぎるといけない。
レバーを押すと、快感中枢が刺激される装置をセットされ、
猿は食欲も忘れ、体力の限り、レバーを押し続ける。
人もまた、レバーを押し続ける。
依存症となる。
煩悩とは何か、考えてみる。
長生きしたいというのは、普通の人の願い。
これは煩悩ではない。
人のイノチを犠牲にしてまで、
おのれのイノチを長生きさせるなら、
これは煩悩というよりも、犯罪。
お金が欲しい、もっと快楽が欲しい、
これは、普通の人が抱く欲の一つ。
社会生活で許される範囲なら、当たり前の欲。
これも煩悩ではない。
煩悩なるものはない、と私は思う。
私が瞑想するのは、気持ちいいから。
快感もある。
・・・
質問「煩悩の源泉は自我を意識する事ですか?」
私の回答は下記。
煩悩なるものは、ない、と私は思います。
私の人生経験から言えることは、この世、人の世は、天国で楽園です。
すべての願いは叶います。ただし、きちんと生きればですが。
人が生きることは、生命を満喫する、いのちを味わうことです。
短い人生ですが、楽しく充実できます。
充分に満ち足りて生きれば、長生きしたいというような欲もなくなるでしょう。
また、人にとって、死はないと同じです。
死ぬことは、人にとって最高のご褒美です。
これでやっと、ほっとできます。
人として生きることは、ある意味、死刑囚のようなものです。
自我という狭い牢獄に閉じ込められ、ある日、突然、死刑が執行されます。
勿論、救いはあります。自我からの開放、これでやって、自由になれるのです。