私の人生で最大の試練?と言えば、

最初の大学を中退したとき、だろう。

 

主に吃音が原因での中退。

私の担当教官に対応を頼んでいれば、

たぶん、中退しないで良かったかもしれない。

 

私はプライドが高く、

東大出の教官に相談はできなかった。

教官は何度も手紙をくれたが、無視。

 

中退後の予定がまったくない状態。

自宅に帰り、約1年くらいは閉じこもっていた。

 

吃音だけなら、何とか道はあったのだが、

勉強などを先送りする習慣(いくらか勉強恐怖症に近い)もあったので、

予定がたたなかった。

 

その頃の私が得意と言えば、

勉強しかなかったからだ。

 

閉じこもりも飽きて、

バイトを始めた。

お陰で、いろいろな体験ができた。

 

ポンポン菓子の移動販売、

これは肉体的にきつい仕事だった。

吃音なのに団地に行き、マイクで呼びかける。

普通は二人でやる仕事を一人でやった。

車と道具一切を日に5000円で借りての仕事。

稼げる日は1万円以上。

 

経済興信所の仕事もくたびれた。

全く見ず知らずの事業所の信用を調べる。

銀行や取引先を訪問して。

吃音なのに、これができた。

これも不思議。

 

普通、大事なことを見知らぬ人に言うわけない。

しかし、調べるのが仕事。

帰宅してから夕食後に調査書を書き上げる。

嘘を書いたら大変。

 

地域のミニコミで記者も少し。

これも聞き歩く仕事。

 

一日で止めた仕事もある。

ジャノメミシンのセールス。

訪問予定として渡された紙に、

中学の時の同級生の名前。

ここは行けない。

 

いくらなんでも、同級のところは無理。

私は優等生だったのだ。

 

和菓子の店頭販売。

私の街で一番賑やかな場所。

よく売れたが、

同級の顔も沢山見た。

誰も声をかけてくれない。

 

水商売だけはやっていない。

たぶん、やったら、はまり込むのを恐れた。

 

印刷工が3ケ月。

これも、経営者に期待されるようになったので、やめた。

長く働くつもりはなかったから。

 

いろいろやったが、すべて腰かけ。

とりあえず、生活しないといけない。

収入が必要。

 

フリーターながら、結婚もした。

子供も生まれた。

 

そして、30歳になって、ようやく、

勉強できるようになった

これで道が開ける。

 

20代は大変だった。

よく生きてこられたと思う。

 

一番の助けは、

大学時代からの付き合いで、

結婚まで4年かかった妻がいたから。

 

つづく