私たち人が感知できるのは、周囲の情報のわずかに一部。

1%以下、もっと少ないだろう。

10m離れ、もの陰なら、見えない聞こえない。

 

自分のこころ(こころなるものはないと私は思うが)についても、

知っていることは一部。

他人となると、さらに未知。

ほぼ知らないことばかり。

 

いくら学んで、勉強しても、

自分のことさえ、充分に知りえないのが人のあり様(現実)。

 

すべての人は、未知の中でさ迷う訳であるから、

リアル世界の中で迷うのは当たり前。

迷い悩み苦しみ、そして期待や夢を持つ。

こうなったらいいなという願望。

ドラえもんの物語。

 

フィクションが生まれるのは、

リアルな現実の厳しさから逃れ、

いっときでも空想の世界に遊びたいから。

 

芝居や劇、映画、創作、マンガ、絵画や音楽、

たぶん、芸術の全てがフィクションを求める

人のこころから生まれる。

 

フィクションだから、美しく輝き、音楽による興奮。

いくらでも作り変えて、もっと感動を与えるものができる。

 

フィクションの良し悪し、

人のこころに響く感応力は、

リアル世界と区別ができないほど、

どれだけリアルに表現できるかにかかっている。

 

幼児の絵は、稚拙。

何故なら、リアルに見せるテクニックがない。

自分だけの空想世界。

 

芸術家は、リアル世界の中に、

その人固有のリアル性を創り出す能力。

だが、所詮はフィクション。

にせものに過ぎない。

 

にせもので感動するのは、

現実のリアルさを知らない人たち。

にせものの中にリアルを感じる。

 

私がドラマや映画を見なくなった理由がここにある。

にせものでは満足できない。

時間つぶしにはなるが。

 

しかし、

現実リアル世界、そのものが、

フィクションに近いところがある。

私はまぼろしと感じるのだが。