人生の重大事といえば、

何を思い浮かべるだろう。

病気や死だろうか。

 

75年生きた体験から言えることは、

病気や死は重大事でない。

 

死は、人に体験できない。

体験できないことは、人にとってないと同じ。

(このテーマはブログで飽きるほど書いている)

 

病気はどうだろう。

健康が一番と唱える人が多いが、

ほとんどの人は、病気を知らないだけ。

老化は誕生の瞬間から始まっている。

病気や障害は、たくさんあった方が、

生きる励みになっていい。

 

むしろ、成功する方が、

いろいろと対処できない問題を呼び込む。

 

例えば、私は普通に歩くことができない。

トイレの回数なども普通ではない。

少し不便だが、

不便はこの世の常。

不便の方がむしろ、気楽なことが多い。

 

吃音は、とても不便。

「おはよう」も言えないようでは、生活にかなり苦労。

しかし、苦労ではあるが、気楽な面もある。

 

我が家の天使は、右半身麻痺。

不便だと私は思うが、

当人は、ちっとも不便さがない。

快適な生活のようだ。

歯磨きも自分でできないのに。

トイレにも自分で行けないのに。

 

この世は、不便な方が気楽なことが多い。

病気も同じで、気楽になれる。

病気になれば、しなくていいことが増える。

周りの人がやってくれる。

 

この世には全能感にとらわれた人がいる。

例えば、トランプさん、プーチンさん、イーロンマスクさんも入るだろう。

私から見れば、まるで子ども。

 

一定の成功を収めれば、

引退するのが自然なのに。

この世と、おさらば、するのが自然。

いつまでも、しがみつく、

何かができると、思い込む。

 

まさか、この世が幻想とは、

つゆも思わないだろう。

死や病気を恐れる。

 

死や病気は、大したことでない普通のこと、

などとは、思いもしないだろう。

 

私は、もし、ガンになり、末期と言われても、

家族以外には言わないだろう。

なぜなら、重大なことではないからだ。

どこにでもある、日常茶飯事。

特別に話題にするほどもない。