今の社会は、競争を原理に成り立っているのだろうか。

私の疑問です。

 

私の人生を振り返って見ると、

競争したという体験が非常に少ない。

小学5年から吃音で悩んでいたので、

自分は人とは違う。というのが

ほぼ確信。

 

だから、人と競争しようと思ったことがない、

何故なら、違う人間だから同じスタートに立てない。

私の人生は競争しないで生きた人生。

とても幸運な生き方だったのだろうか。

 

確かに、学校生活は競争に満ちている。

ペーパーテストの成績で決まる基準が多い。

入試も、就職も、同様だろう。

勤めれば、そこでも出世競争があるだろう。

私はそのような競争を体験していないが。

自分は特別だと、信じていたのだ。

 

競争を原理とする社会に適応していくのが、

今の人には普通という見方も、よく分からない。

 

今の社会は、その人が特別に反社会的な行動をしなければ、

だいたい、どこかに居場所が見つかる。

そういう自由で寛容な雰囲気がある、

それが、私の理解。

 

適応しようと努めなくてはいけないのは、

ひきこもりなどの問題行動を抱えた人になる。

数としては、非常に多いが。

人口の3%程度になるだろうか。

彼らに対しては、その人の特性に応じた支援が不可欠。

 

しかし、普通の人は、だいたい適応していると言えるだろう。

逆に、適応し過ぎの過剰適応の人が多いのも事実。

これは、日本の教育システムが最大の原因ではないかと思う。

 

適応し過ぎると、自分を見失ってしまう。

他からの承認がないと自己肯定感がなくなる。

自我の自立ができていないアダルトチルドレン。

自分独自の世界がない、考え方が幼稚。

何かに依存しないと不安。

これらは、子どもを育てる過程の教育に問題があるから。

 

私のように、自分は特別だという確信があれば、

そのようなことにはならないのだが。

 

永遠平和という概念も、また、よく分からない概念。

未来のことを予測するのは不可能。

100年先も不確か。

 

今が良ければ、それが最高。

今の社会は、どうだろうか。

私には、甘く評価して80点くらいだろうか。

 

競争しないと、生きられない社会ではない。

かなりいい加減でも何とかやっていける。

日本の政治、ここには大きな問題がある。

しかし、中国やアメリカ、どこも同じくらいに大変。

日本だけが特別に悪いことはない。

 

競争という面から見ると、

世界の中で、日本は競争が少ない社会ではないだろうか。

貴族も特権階層もいない。

 

死への不安、これは人にとっては普遍的テーマ。

私は人生経験を経て、ほぼ克服したが。

宗教がなくても、対応できると思う。

瞑想などのやり方が有効。

 

Quoraの質問、井ノ上裕之さんの問題提起で、

私もいろいろと考えてみた。