世界史リブレット071

「曽国藩」山川出版を読む。

 

曽国藩(1811年~1872年)

この人は、間違いなく偉人と思われる。

立派というよりもさらに上の人。

これほどの人物は、なかなかいないと思う。

 

清朝は中国歴代王朝の中でも、創業以来有能な皇帝が続いた王朝であるが、

清末の4代は、いずれも若年の皇帝で、統治能力がなく、国が乱れた。

1840年のアヘン戦争で莫大な賠償金(歳入の3分の1にのぼる)、

そしてアヘンの密輸入増による銀の流出と経済の混乱。

財政難から治水などの放置で災害の頻発。

民衆の窮乏化、流民化が拡大した。

 

このような社会情勢で、

1851年、太平天国の反乱が勃発。

これに呼応して全国で多様な反乱軍が立ち上がった。

これらが平定されるまで、17年以上もかかっている。

 

曽国藩は科挙の試験に合格して、北京の官僚となった。

幼児から神童で際立った秀才である。

28歳で科挙に合格。この年齢も非常に若い。

皇帝や大臣たちの信任があつく。

異例の出世をとげる。

要するに、面倒なことを一任された。

その一つが太平天国の鎮圧。

 

当人は文人であり、軍事は不得意。

何度も決戦に負けるが、

人材の登用は得意。

優秀な部下が多数輩出。

そのお陰で、ついに太平天国を平定した。

 

曽国藩の一番の功績は、

西洋の学術を盛んに取り入れて、

産業振興や学ぶ機関を沢山作ったこと。

 

当人は伝統的学問(古典など)に優れ、

詩句なども得意であったが、

不得意な軍事に関わり、西洋との差を強く感じた。

アメリカやヨーロッパにも留学生を多数送っている。

 

また、アロー戦争など、西洋列強との外交交渉にも

関与して、不毛な努力を重ね、疲労している。

 

彼についての、後世の評価は非常に悪い。

私利私欲なく、誠実に勤めを果たしたが、

結果的に、清を長生きさせるだけだった。

 

清は国の繁栄よりも、満族の自己保身だけの組織。

内部改革は不可能、滅亡は当然だった。

 

どんな優れた人でも、

国よりも、民衆の方が大事と思えるのは、

かなり難しい。

この時代、革命家しか道がない時代。

 

今の日本でも、

国が第一と考える人が多い。

特に、官僚たちは全てそうだろう。

 

はたして、日本の国で内部改革がどこまで可能か。

私は疑問に感じる。

今の日本で、優れた人は革命家になるしかないのではないだろうか。

 

企業だけでなく、

総理大臣も外国から招く方がいいのかもしれない。