ブログから遠ざかっている。
書くことはいっぱいあるのだが。
外界に対する関心が低下しているからだろう。
外でおしゃべりすることもなくなっている。
「1984年に生まれて」
先日読んだ本。
自伝のようであるが、創作。
自分とは何か。
それがテーマなのだが、
結局、自分は分からない。ということだろう。
私も73年生きて、自分がよく分からない。
だが、死については、かなり良く分かる。
死が気持ちいいということも分かるようになった。
この世は、意味や価値や良いことに満ちているが、
それだけである。
楽しいこともいっぱいあるが、
それだけである。
それ以上をねだるのは、分不相応ということ。
人であるから、仕方ない。
最近、よく分かったのは、
言葉や概念を使うことの限界。
人が使う言葉。
言霊といい、神聖に思う人もいるが、
これは、ただの道具。
人が社会生活をおくるための道具。
役に立つが、それだけ。
真理や普遍的法則にたどり着くのは不可能。
数(数学)も同様。
ある意味で、
人は、かなしい・あわれな生きものである。
しかし、救いはある。
死である。
これで、
自分という牢獄から、
解放される。
本当にほっとするだろう。
ただし、死は体験できないので、
ほっとする実体験ができないが。
死の直前での、
解放感はあるかもしれない。