私の吃音は、50歳頃に完全に消えたと思います。
電話をしても、意識しなくなったのです。
吃音が消え、少し楽になった、かというと、
以前と変化なしでした。
吃音が消えるのは、
私にとって、不思議な体験でした。
良くなろうと思っていなかったからです。
期待したこともゼロです。
私が吃音になったのは、10歳頃。
最初の頃は、治そうと努めたけど、
すぐに諦めました。
これはダメだと観念。
私が思ったのは、
とにかく、
この現状でどうにかしよう、
それだけでした。
人前で失敗やカッコ悪いことをして、
笑われたり恥をかくのに慣れていきました。
こころの底に抑え込むのです。
吃音だからといって、
それを理由に止めることが嫌でした。
級長も毎年やったし、
勿論、大変でしたが、何とかやれた。
毎時間の始めと終わりに号令をかけるのが任務。
これが相当の苦痛でした。
子供会の部落長もやりました。
60名くらいの集会の司会です。
高校の時は、
弁論部なので、文化祭で1800名の生徒を前にして、
スピーチをした。
吃音が酷い頃です。
うまくできるはずがありません。
会場にいた誰一人、私の発言を聞き取れた人はいない。
当たり前です。
早口で、かつ、文が途切れる。
句読点で途切れるのなら分かるが、
文章の途中で切れるのです。
時々、意味不明な沈黙がまじる。
同じ弁論部の仲間の一人も、
感想を言ってくれません。
誰もが腫れものに触る感じで、
避けてくれました。
今、思っても、
よくまあ、恥さらしな。
スピーチに応募したときから、
うまくいかないことが分かっていました。
練習しても無駄だということが。
そのため、事前の準備も最小にしました。
どうせダメだから、省略です。
しかし、応募したのは、
言いたいことがあったからです。
学校の雰囲気が、受験オンリーで、
なんと、つまらない、腐敗している感じです。
若者らしく、社会を変える熱気に乏しいと思ったのです。
こういう体験がすごく多いです。
普通の人ならしないと思います。
恥をかくのは、皆イヤでしょう。
しかし、私は、平気な顔でやってきました。
その分、ストレスも巨大かも。
吃音を理由にして、
行動をやめるのはイヤでした。
できることはやろうと思っていました。
ナンパなども沢山しました。
さすがに、上手くゆかないこともいっぱいです。
例えば、大学1年の夏、大阪から東京まで徒歩旅行を計画。
野宿の旅です。
最初、一緒に行く友がいる予定でした。
二人なら何とかなる。
私が心配したのは、野宿の場所を、人に頼むとき、
私に代わって、代弁してくれる友の必要です。
この友が急にキャンセルしてきたのです。
仕方ないので独りで出発です。
野宿の最初の日は雨。
これがこたえた。
どこかの軒先を借りないといけない。
口で頼まないといけない。
考えると、自信がなくなりました。
旅行は断念です。
こういうことも多いです。
できないこともあったが、
何とかやれたことも沢山ある。
20代の私には、吃音よりも大きな問題が
いっぱいでした。
フリーターで転職を繰り返していたので、
そのたびに起こる苦労。
結婚し、子どもの誕生。
勉強が手につかないという問題。
いろいろです。
30代で定職に就いたことで、
大きくほっとしました。
それからは、ボランティア中心ですが。
それもまた、企画、宣伝、司会など、
ほぼ一人でやってきたので、
苦労もいっぱい。
吃音などには、かまっておれない。
というのが正直な本音。
だから、
吃音が良くなるという期待をもったことがない。
たぶん、小学の頃から同じ思いです。
希望も期待もなかったので、
吃音が消えても、感慨はなかったのです。
不思議な感じがしただけです。
うれしいとも思わなかった。
むしろ、少し寂しいような。