自己流の禅・瞑想を始めて40年以上になる。

最近、だいたい毎日3回くらい。

一回の時間が約20分。

 

腹式呼吸に入ると、

下腹部があたたかくなり、

温もりが背中を昇っていく。

とても気持ちいい。

 

私の禅は、内面との対話であるが、

内面を見て、

そこに精神性やこころはないと感じる。

 

あるのは、物質だけ。

人体を構成する約60兆の細胞と、

体表と体内で共生している約100兆の微生物。

これらの働きを感じるだけ。

 

脳は特に盛んに動いている。

約1千億の神経細胞と

それらを支援する無数の細胞。

各細胞の中も、また、複雑。

分かっていないことの方が、圧倒的に多い。

 

微生物の働きは、かなり重要らしい。

人の健康にとっては特に。

最近、ピロリ菌も人体にとって有益であると

分かってきたようだ。

抗生物質で除去する弊害が大きいようだ。

 

瞑想していて、

私とか、自分とか、こころとか、

そういうものはないと感じる。

 

私と云っても、実体はほぼ何も知らないと同じ。

まるで無知なのだ。

妻や他人よりも、実態について少しは詳しいが、

その程度。

 

私や自分。

人は知ったふりをするが、まるで無知。

こころについても同様。

 

まあ、盲人が像を撫でているような感じだろう。

 

人の中に精神性や魂を見る人は、

まぼろしを見ているのだろう。