死が怖いと思う人が多い。
何故、怖いのか。
私が思うに、
死ぬと無になると思っているからだろう。
何が無になるかというと、
私が無になる。
世界は変わらず続く。
私や自分という概念は、
生まれてからの思い込みでつくられるマボロシなのだが。
瞑想して自分の内面を見ていると、
中身がないのに驚く。
感情はある、色々な想念も沸き上がる。
しかし、自分というものはない。
どこにも見つけることができない。
呼吸もある、心臓の鼓動も、
しかし、私はない。
自分や自己や自我なるものは、
自分の好みで作り上げた思い込み。
自己を愛するとは、
このマボロシを愛することになる。
人生で一番の間違いは、
自己を肥大させること。
ヒットラーがその典型だろう。
たぶん、出世や成功すると、
この自己肥大が進行していく。
例えば、孫さんを考えてみる。
会社や事業と自分を切り離すことができないだろう。
秒刻みの多忙な毎日。
緊張も生きがいもやりがいもある。
達成感も大きい。
トップで君臨する満足は大きい。
できることが無数にある。
まさに、万能感もあるかもしれない。
そして、
自分の境界が限りなく広がる。
自己肥大は、人生で最大の麻薬。
依存症よりも治癒が困難。
自己肥大が進むと。
私が無になることが嫌になる。
この世でできることを全てやり切ったから、
いつ死んでも満足。
私の業績はピラミッドのように輝いている。
そう思えるなら最高だが。
人はそうならない。
後世に残すものが大きいほど、
私が死ぬことが怖くなる。
人は人生で成し遂げたものを
残そうとする。
私を残そうとするのだ。
決して無にならないと、
信じ込みたいのだろう。
私がマボロシと知れば、
自己肥大も和らぐ。
死は私が死ぬだけ。
もともといない私が。