実はほとんど解明されていない驚きの事実とは?
私の回答は、
自分や私という虚像がどのようにつくられるのか、
まだ解明されていないと思います。
私や自分という実像も、また、不明でしょう。
個々の断片的な要素や因子は無数に見つかりますが、
統一した全体像を見るのは難しいかもしれません。
無意識下に蓄積され隠されて、意識の表面にあがってこない
記憶や感情や映像などが無数にあります。
それらの全てが私や自分の基礎となっています。
受精してからの胎内の体験、出生後の体験のすべてが
私や自分をつくる土壌ですが、ほとんどは意識されません。
そのように無数で雑多でまとまりない体験や体内感覚の集積で、
結果として、私や自分なる意識が生まれるのですが、
それは虚像にすぎません。
性格や傾向などの行動特性はいくらでも変化できますし、改変可能です。
私や自分というものがあやふやであることは、
言葉を変えればマボロシのようなものとも言えます。
実像も不明ですし、虚像もまた、いい加減です。
そのように私や自分という虚像を、
各人がどのようにつくりあげていくのか、
未だに不明なことだと思います。
もう一問。
自分を意識しないようにする方法を教えてください。
私の回答は、
方法は、役になりきることです。
あなたの舞台で、あなたという役ではなく、
別の人格を想定して、その人になりきることです。
舞台俳優なら誰でも簡単にできるでしょう。
あなたでも、容易いことです。
ただし、別の人格を、かなり細かく詳細に決めなくてはいけません。
脚本を書きましょう。
ただし、職場などの日常場面を前もって設定はできないので、
セリフも態度もすべて、その場でのアドリブになります。かなり高度な舞台です。
全ての日常生活の場で、あなたという自分は登場しません。
別の人格の誰かです。
問題なのは、役になりきるという、
この企てが成功した場合です。
あなたは、自分が何者であるのか、分からなくなるでしょう。
役の方が気に入って、そちらになりきることになるかもしれません。