世の中、80歳を過ぎて、自己愛の権化のような人がいる。
自分はいいひとで善意に満ちていると信じている人だ。
いつも周りの人のことを配慮して、よいことを行っていると思いこんでいる。
実際は、自分本位で自分しか見えていないのだが、
それに気付かない。世の中には、こういう人が多い。
私は、自分がいいひとだと思ったことは少ない。
だいたい、考えることが周囲と違う。
周囲が理解できないことを言ったり行ったりが多い。
昨日、将棋の世界は狭いと書いた。
話は変わるが、蟻の世界は、狭いだろうか。
蟻の研究でさえ、人が一生かかっても大変だろう。
虫といえども、世界は無限。そういう意味では、将棋も無限。
しかし、将棋はゲームの一つ。ゲームも多様だが、勝負事の一種。
私の感じでは、経済活動の世界も狭いように思う。
お金という価値基準が狭い価値。
たぶん、22世紀になれば、お金の価値はなくなるだろう。
お金という基準、そのものが、使われなくなる。
モノづくりや新しいサービスの発明。それらも素晴らしいことだ。
人類の福利の向上に寄与するだろう。科学研究も同様だ。
しかし、肝心なのは、つくるよりも使うことにある。
いかに使うか、活用するか。
乏しい材料から、いかに美味しいものを作るか。その方がずっと大事だ。
人の能力も一生も、限界に満ちている。できることは少ない。
その中で、いかに豊かに生きるのか、
その方が、格段に価値がある。