今朝のQuoraの質問は、難しいのばかり。

 

日本の難民の受け入れ。

朝鮮学校の無償化。

表現の自由。

中国政府の香港への弾圧。

 

回答するのに、苦労する問題だ。

 

表現の自由については、回答を考えてみた。

 

「表現の自由」と云えば、いつも思い出すのは、

エホバの証人が各家庭に配布するパンフを許可なく玄関まで侵入してポストに入れるのは、

許されることかどうかというアメリカの裁判です。

(昔読んだことなので、正確な記憶ではありませんが)

確か、情報提供として許されたと思います。

 

一方、日本の裁判で、政府の方針に反対するビラを

公務員宿舎で各家庭のポストに投函するのは、

家屋侵入になるかどうかの裁判があります。

正確な記憶ではありませんが、確か、違法行為になったと思います。

 

日本とアメリカでは、表現の自由でも、解釈が違うようです。

 

不特定多数の人々に対する情報提供、SMSなどの意見表明。

表現の自由は、どこまで許されるのか、難しい問題です。

 

良心の自由は、個々人の自立の大前提ですから、

絶対に守らないといけない約束と思います。

しかし、表現の自由は、選挙の場合の投票権と同様に、

制限されることがあるかと思います。

 

投票権は、一人一票です。どんなに有力な人でも平等です。

例えば、SMSを使う表現でも、

毎日一人一回使用というように平等にすべきかもしれません。

もし、そういう制限が可能ならばですが。