73年という年月は、人として生きるには充分だろう。
様々な経験ができた。
めったにできないこともした。
満足している。
私の経験から、一つの確信がある。
死は気持ちいい、ということ。
もうこれ以上、私と付き合わなくていい。
それが一番大きい。
もちろん、自分が嫌いな訳ではない。
生まれてから長い間付き合ってきたのだから、
愛着もある、気心も知れている。
共に、苦労したり、楽しいことも一緒にやった。
充分に満足している。
しかし、私という存在は、
不明なことが多い。謎が多い。
つまり、良く分からない相手。
いくら深く知ろうと試みても、溝を超えられない。
私は、禅(自己流)を40年以上やっている。
自分の内面との対話。
こころの声を聞くためだ。
これで、何度も助けられた。
いのちを救われたこともある。
内面と対話しても、分かることしか分からない。
分からないことの方が圧倒的に多い感じがする。
私、自分、我、このようなものは、
そもそも、本当にあるのだろうか。
というのが、最近の思いだ。
自分で思い込んでいるだけのような気がする。
自己同一性は、生活するために必須の前提だから、
そう思わないと、生きていけない。
しかし、私や自分というものは、
実際にはない架空のもの。
というのが私が最近の結論となっている。
私がないのなら、
生きるのはとても楽になる。
その時の気分だけで生きればいい。
私があるからこそ生への執着が生まれる。
私がなければ、死ぬのは私ではない。
もともと無かったものが、なくなるだけ。
病気や苦痛でさえも、
耐えがたい痛みさえも、
私がないのなら、どういうこともない。
ひとごとになる。
話は変わるが、
所得制限なく、国民全員に10万円支給とか。
安倍さんの決断をちょっと評価したい。
しかし、ただちにしないと役に立たない。
日本の行政は、やることが遅い。
PCRの件数も増やすと表明しても、やってない。
できれば、ベーシックインカムに
移行して欲しいと、私は思うのだが。
その一歩となれば、
コロナ騒動も良い結果をもたらすかもしれない。