最近、よく思うのだが。
人を理解するときに、言葉がいるだろうか。と
顔や姿かたちに対面して、
その上に声が発せられたら、
ただちに、その人の内面に入れるような、
そういう実感があります。
これは、相手への理解なのだろうか。
それがいまいちはっきりしません。
もし、相手も同様な感覚をもつなら、
相互に相手の中に入れるという訳で、
これは理解に他ならないのではないかとも感じる。
こころを家にたとえると、
部屋の奥の蔵書や資料や各種の記録までは
分からないが、
玄関や居間くらいは既知の感じです。
こういう認知の仕方は、
理解に入るのだろうか。
家の外見と玄関だけだから、
セールスで個別訪問したら、知る範囲です。
それで、相手のことがどのくらい分かるのだろう。
もちろん、具体的で個別な苦しみまでは
分からない。
だが、雰囲気やムード、
その人の醸し出す世界は見えてくる。