今朝、お気に入りさんの日記を眺めていたら、
ボランティアについて書きたくなった。
昨年は、スーパーボランティアの方が話題になった。
国中に舞台を求めて動くやり方は、希少だからだろう。
普通のボランティアは、地域社会の中でうごめく。
例えば、公園の草取りや近所の掃除など。
私は、人権問題のボランティアが長い。
あとは、学校とか障害者とかだ。
今はすべてやめている。
世の中は、問題に満ちている。
多くの問題は、普通の人が知らないところにある。
マスコミも、そういう所まで気にかけてくれない。
気付いた人が、できることをするしかない。
もちろん、報酬はない。
余計なことをすると非難されることはあるが。
時には当人から罵倒されることもある。
「ほっといてくれ」と。
それでも、長いことやっていれば、
当人もそのうちに諦めて、
こころの底では感謝するようになる(推測だが)。
あるいは、利用価値があると評価されるか。
表面の粗暴な態度や悪口は変わらない。
迷惑をかけても当然という気持ちも変わりようがない。
これらは、池田小事件のタクマさんのような人格障害の人を支援していたときの経験。
ボランティアは、ときに危険な立場に陥ることがある。
これは精神科医も同様だが。
危険な人を相手にしているとき。
だから、殺される場合もある。
相手を救いたいという、あたたかい意図ではじめて、
最後には、相手を殺してしまう結果もありえる。
充分に注意して慎重に進めなければいけない。
私の場合、禅がとても役に立った。
相手の出方に危ない予感がするとき。
禅で瞑想して、気持ちをととのえることができた。
ボランティアにはいろいろある。
生きがいになれる。
一生の間、ボランティアばかりしていたというのも、
良い生き方だと思う。