痛みや苦痛は、脳がつくりだすもの。
足に大怪我しても、脳が感じなければ、痛みはない。
例えば、戦場で戦闘中にケガをしても、かまっておれない。
幼児は、身体の不快を泣き叫ぶことで訴える。
しかし、親の反応がないと、そのうちに泣かなくなる。
泣いても無駄と知る。
もし、幼児を、痛みを快と感じるように調教すれば、
身体の痛みを喜ぶようになっていく。
痛みを積極的に好むようになる。
明かな病気。
催眠法で腕に火傷を起こすことを前日のブログで書いた。
火傷を起こすには、熱いものでなくてもよい。
単なる言葉でもできる。
言葉を使えば、こころの火傷も簡単に起こせる。
いじめや虐待。
心頭滅却すれば、火もまた涼し。
まさに、可能である。
意識の世界から、火を消せばできる。
意識を変えるワザを習得すれば、
瞑想しながらの世界旅行もできる。
眼前にありありと光景を呼び出せばいい。
蒙古の草原を馬で駆けるのは最高だろう。
私もやってみたが、なかなか難しい。
相当の修行が必要なようだ。
激しい痛みを和らげるには、
モルヒネなどの神経系に作用する薬が使われる。
しかし、どの薬も副作用がある。
自分固有の痛みの特性にあった薬、
日常生活を不便なく過ごせる薬剤の組み合わせを見つけなくてはいけない。
しかし、人体には無数の感覚受容器があり、
そのネットワークは無限に近い。
痛みのコントロールは難しい。
一番大切なのはこころと意識の安定。
今を生きるのを楽しむ。
こころから楽しむ。
一杯のお茶を味わう。
美味しいものに感嘆する。
好きな音楽に没頭する。
冒険小説など読んで、別世界に生きる。
現実の世界を探検できなくても、
こころで世界探検ができる。
あたらしい恋をするのもいい。
こころを解き放つには、
若い頃の感性に戻るのがいい。
痛みを感じるのは、生命力があるから。
体力が衰えれば、痛みも衰える。
今日は、私の妄想を書いてみた。