昨日のブログのコメントに
「人は死を身近に感じると、本当に大切なものや、やりたいことが見えてくるのでしょうね」
というのがあった。
高齢で、ガンなどを発病し、死を意識するようになると、
ほぼ半数の人は、死を考えまいとする。
今まで通りの日常生活を過ごそうとする。
だが、治療の痛みなどで、不満は増えていく。
しかし、死を前にして本当に大切なことを考えたり、
やりたいことが見えてくることはないだろう。
若い頃から、自分の頭でものを考える。
人生とは、生きるとは、あるいは、価値あることとは、
愛や正義や、何が正しいか、どうすれば世の中が良くなるのか、
そういう抽象的なテーマは、
ほぼ、半数の人は、考えたこともない、のが普通。
文章を書く、手紙などを書くのを日常的に行っている人は、
成人の半数もいない。
大多数は、ものを考えることをしないのが普通。
テレビを受け身で楽しむ。
特定の集団に属して、そこでの常識を当たり前と思って生きる。
それで、普通に生活できる。
不満はない。
政治の投票率もだいたい50%。
このうち半分は、所属する集団の意向に従うものだろう。
完全な浮動票は25%以下になる。
自民党政権が国会で安定多数なのも当然。
考えるという習慣は、若い頃に身につく。
学校の勉強とは、まったく別。
成績が良くても、考えない生徒は多い。
古典や小説などの本を読む人は、考える習慣が育つが。
死を感じ、人生を真剣に考える人は、
人口の10%くらいではないかと推測する。
そういう人は、まず、
病院での死を避けるだろう。
死ぬときくらいは自由にしたいと思う。
もちろん、体力や経済と相談しての自由だが。
どんな治療にも限界がある。
金銭の問題もある。
どこかで、諦めなくてはいけない。
1時間でも長生きしたいと思うなら、
延命に役立つ医学はいくらでもある。
しかし、知的能力がどこまで維持できるか、
それは予見できないだろう。
突然に容態が変わるのが、ガン末期の特徴。
今、ガンになることを望む人が多い。
心疾患や脳溢血などでは、ころっと死んでしまう。
親しい人々との、お別れもできない。
それに比べて、
ガンは治療法の進歩が著しい。
生存率が高くなっている。
そのうちに、平均寿命と同じレベルになるかもしれない。
さらに、ガンの末期では、
痛みのコントロールさえできれば、
最期の最後まで、普通に生活できる可能性がある。
こころの病さえなければ。
ガンは、もっとも望ましい病になりつつある。
思いつくままに書いたので、不正確なところもあります。