私は吃音、ひと前で話すのは苦手。

高校文化祭で、全校生徒を前に弁論したのだが、

約1600名の聴衆の中、誰一人、何をしゃべっているのか、わからない。

日本語というくらいは通じたと思うが。

 

当然、親しい友だちも、弁論内容について、一言の感想もなかった。

何を言ったのか不明なので、感想の言いようもない。

無視です。

 

アムネスティという人権活動に40代・50代、熱心に取り組み、

ひと前で話すことに慣れていき、

50歳くらいに、吃音を意識しなくなった。完治。

 

完治する少し前、

ライオンズクラブの大会が岩国であり、そこにゲストとして呼ばれた。

死刑廃止のテーマで30分くらいの講演。

 

少人数の会で話すことは、緊張なくできるようになったといえ、

聴衆の顔色や反応を見ながら、臨機応変に話題を変え

話し方を変えるというようなスキルはなかった。

当然、講演は失敗。

ただし、私はゲストなので、叱責する人はいなかったが。

 

死刑廃止問題。

今なら、もっとうまく講演できると思う。

 

死刑を実施している国と云えば、

今では、アメリカ(廃止している州もある)、中国、日本、イラン、北朝鮮など、

地球上で有名な人権意識の低い国。

ほとんどの国が廃止または停止。

 

残酷な刑罰を禁止する人権条約を守っている。

死刑は、明らかに殺人。

そして残酷。

 

どの国も同じだが。

人を裁くのは人である。

従って、冤罪を避けられない。

 

日本で、裁判官になる人たちは、

勉強できるが、社会経験が乏しい。

人を見る目がない。

だから、冤罪が多発する。

 

さらに、日本の裁判では、

検察側が不利な証拠を開示しない場合が多い。

警察が掴んだ証拠が公平に使われない。

 

多くの人は、長期勾留して、

有罪を認めれば有利にしてあげるというような調べ方で、

デタラメな自白をしてしまう。

人は力に弱い。

威圧に弱い。

 

余程こころが強い人を除いて、

たいがいの人は、精神的に追い詰められると、

なんでも言うがままになる。

人は弱い生きもの。

 

死刑の最大の間違いは、

人間の中に、極悪人がいるという迷信。

 

確かに、悪魔のような人はいるかもしれない。

もし、

地球人類社会に核戦争を起こさせようと企み、

着々と準備している人々がいたとするなら、

かなり悪魔に近いかもしれない。

しかし、悪魔ではないだろう。

家庭に帰れば、良きパパ、ママかもしれない。

 

社会に対して、巨大なダメージを与える集団。

例えば、オウムのような。

悪魔に近いかもしれないが、

集団の個々人は、普通の弱き人にすぎない。

 

私の人生経験から云って、

この世には、極悪人はいない。

人は、ひとり残らず、弱き人間。

愚かではあるが、憎めない。

 

この世に、悪人も善人もいない。

しかし、

人の運命は、はかなく、あわれ。

実際、人は死刑囚と同じ境遇にいるのだが、

気付かないだけ。

 

ある朝目覚めてみたら、体調不良が生じて、

いくらあがいても、抵抗しても、死が待ち受けている。

いわば、死刑執行されるのだ。