私は吃音の経験があるので、

吃音者には甘い。

 

吃音で頑張っている人を見ると、

応援したくなる。

 

若くて、吃音だけど、営業などの対人関係の職務に

挑戦している人を見ると、特に、自分のことのように感じる。

私も吃音には、ずいぶん苦労した。

 

吃音で苦しい時は、

その苦しさを自覚したり、意識したりできなく、

意識の表面では、強がって何とかなると感じていた。

実際は、苦しさを抑圧していただけなのだが。

この件は、以前のブログで詳しく書いている。

(私のブログ内で、吃音で検索してください)

 

若い人、高校生や大学生の頃、

色々な障害をもっている人は多いと思う。

癖や障害の軽いのも含めれば、人口の20%くらいになるのではないだろうか。

(軽い発達障害の人は相当多い)

 

成人の吃音は、人口の約1%。

その多くは、話さないでやれる仕事、

営業などではない職務に就くのだろうと思う。

 

吃音で教師になり、

結局、途中で断念したというブログもいくつか見た。

 

たぶん、吃音が主な理由で、

職場を止めざるをえない人も、そうとうに多いと思う。

私自身も吃音が理由で、大学を止めている。

 

若い人の悩みは、多様だ。

人それぞれで違う。

しかし、

その人の固有の問題に対して、

人生の経験者としてサポートできることはいっぱいあると思う。

 

若い人が相談に行ける先は、

精神的問題や就職などの窓口はある。

だが、

漠然とした悩み(例えば、勉強に身が入らない、癖の悩みなど)の相談となると、

窓口に行くには敷居が高い。

 

そこで、

年長の経験者が若者の相談に乗ることが役立つと感じる。

経験と広い視野が、若者のために使える。

 

若者が気軽に話せるような場、

そこで色々な相談ができる。

そういう仕掛けがあれば、

地方で育つ子どもたちも、

地域社会の良さが身に染みるのではないかと、思うのだが。

 

地域社会の「ひとづくり」はこういう

小さいプランが大事だと思う。