進化というと、明るく良いことだと感じる。
本当だろうか。
生物学では、世代を経るにつれ変化していく遺伝子変化をいう。
日常表現では、単なる変化と同じ意味で使う。恒星の進化や、政治体制の進化など。
進化には、より優れた高度なものになるという感じがある。
例えば、未開社会から文明社会へ進化。
全ての生きものは環境に適応しながら子孫を残す。
生存するということは、子孫を残すと同義。
子孫を残せない生物は絶えるだけ。
生きている生物のすべてが、適応に成功したもの。
従って、生存する生きもの=適者(同義)。
生物にとって、環境に適応する方法は無数にある。
そのどれを選ぶかは、完全に偶然。
たまたま、選んだ道が、子孫繁栄となる。
だが、適者生存は、いっときだけ通用する原則。
いくら適者になっても、環境や自然条件が変われば、滅びる。
例えば、恐竜のように。
自然淘汰というのは、ある意味、適者が滅びるということ。
自然の淘汰は、本質的に気まぐれ。
進化は、ただ単なる変化であり、
進歩とか、発達とか、高度化を意味しているのではない。
人類は、類人猿から変化してヒトとなった。
そして、知能をもち、社会をつくる。
恐竜が絶滅したあとの地球を我が物顔でのし歩く。
人類が生き延びてきた、大きな原動力に、
自己中心の競争心があるという。
自立心、冒険心、探求心、自己責任。
優れた人が成功して、集団のリーダーとなる。
この考えも、非常にあやしい。
一人の成功の影には、無数の失敗がある。
むしろ、有能な人がこける可能性が高い。
チャレンジ精神が旺盛な人ほど、失敗しやすい。
うしろから付いていく方が安全。
成功は、有能さよりも、単なる偶然に左右される。
自然の進化と同様に、本質的に気まぐれ。
成功した人が優れているという原則は、どこにもない。
人類が生き延びた理由に、
共感や助け合いや利他心が考えられる。
これこそ、人類生存の最大の理由だろう。
集団や社会を維持するには、
共感や助け合いや利他心が不可欠。
今日の新聞に、
ケニアで障害児支援活動をする小児科医(公文和子さん)が紹介されている。
経歴を見ると、まさに人生の彷徨を感じる。
すばらしい生き方。
利他心、奉仕のこころ、ボランティア精神、そのもの。
彼女はアドボカシーの重要性を力説する。
(私も同感)
こういう方が、人類の生存に一番、寄与していると思う。
日本社会を見ると、
リーダーたちがいかに無能であるか、良くわかる。
人類世界を支えているのは、
リーダーではなく、無数の名もなき人々なのだ。