佛教とキリスト教についての私の感想を書く。
佛教は輪廻をもとにした思想。
釈迦の時代、輪廻は疑うことができない常識だった。
生きものは、輪廻する。
人も生きもの。
次の世で何に生まれ変わるか分からない。
ヘビかネズミか。ゴキブリか。
輪廻は苦である。
故に、輪廻からの解脱が佛教の最終的目標(悟り)となった。
現在の人類社会で、輪廻を信じる人は少ない。
魂を信じる人はいるが。
佛教では、魂という不変なものは考えないようだ。
天国も地獄もない。
キリスト教は、
唯一神がそびえる。
そして未来、永遠に続く神の国がある。
最期の審判がある。
要するに、人は、生きるものも死せるものも、
最期の審判で裁かれるということ。
そして永遠に続く神の国。天国と地獄がある。
この世で、どんなにみじめであっても、
神の国では正当に評価される。
だから、神さまを信じなさい。ということ。
貧しい人や虐げられている人、病気や事故で苦しんでいる人に、
希望を与える教え。
だから、信者が増え、世界宗教となった。
それに比べ、
佛教は、解脱のために無私を説く。
煩悩を捨て、真の悟りに至ることを勧める。
しかし、無私の実現は、とても難しい。
自己保存本能は生きものに共通。
自我を捨てることは並大抵ではない。
佛教が世界宗教とならなかったのは、
教えが難しく、凡人では達成不可能だから、だろうか。
日本の仏教は、無知な大衆を救うために、教えを簡単にした。
念仏だけ唱えていれば、阿弥陀仏が救ってくれるという、
単純な教義。
これで信者が増えた。
宗教が不要となった現代。
多くの人は、人生を哲学的に考察するゆとりがない。
こころに迷いがあれば、
薬のような簡単な処方を求める。
医学や医者が宗教の代わりを果たす。
あるいは、カウンセリングやセラピー。
超能力などでこころを癒す。
現代社会、宗教の役割はなくなったと、私は思う。
人は、神から自立しなくてはいけない。
勿論、国からも。
自立した個人が集まってこそ、
民主主義が成り立つ。
しかし、個人の自立は、
並大抵ではない。
学校教育が自立をすすめていない。
親も教師も、先輩たちも自立よりも服従の方がやりやすいのだ。
つづく