前回のブログで

「お金のように汚いもの」と書いたら、

お叱りを受けた。

 

お金も使い方らしい。

人に役立つ使い方もある。

人を滅ぼす使い方もある。

全ての道具と同様、使い方次第とか。

確かに、その通り。

 

そういう理屈でいけば、

セックスも使い方次第になる。

 

では、セックスとお金は、交換可能なレベルにあるもの同士か。

 

セックスとお金、

どちらが、より危険で身の破滅になりやすい。

これも、同じレベルか。

 

セックスは人類進化で授けられた恵み。

いわば、神から恩恵。

 

お金の歴史は、まことに短い。

たかだか数千年。

 

距離の基準・単位となるメートルは、生活に必要不可欠。

しかし、経済や取引の基準・単位としての貨幣は、

人類の生活に必要不可欠とはいえない。

 

通貨の単位が必要なことは言うまでもない。

それがないと経済や取引が円滑にいかない。

しかし、財産としての通貨は、不要な邪魔者。

 

日常生活で必要なものを通貨で取引するのは、

これからしばらくは続くだろう。

しかし、財産は必ずしも不要。

 

人が生きていくために必要な基本的生活財(衣食住)、

健康で文化的な生活ができる最低限は無条件で保障される時代が近い。

それ以上の贅沢を望む人は、

特別な社会奉仕が求められるだろう。

例えば、発明や発見、新規起業などの社会貢献。

 

現在使われているようなお金。

財産として蓄える機能をもつお金は、

不要となる。

 

お金は、人類の歴史上、

ほんの一時期にあらわれた現象。

 

お金が原因で、汚い結果を生むことが多かった。

お金は汚いというのは、

私の正直な感想。

 

お金を追い求めて、

歴史上も、現在も、人々は狂ったことをしている。

この現実は、あまりに明白で、疑うことができない。