勇気とは何か?
昨日のブログを書いて考え込んでしまった。
私は吃音の経験者。
約40年。
吃音については大体知っているはずなのだが。
私は40代、50代と約20年間、
人権活動ばかりしていた。
吃音者の人権については、考えたこともなかった。
なぜだろう。
吃音は、個人で努力してもどうにもならない。
社会的な支援こそ、
絶対に必要不可欠。
いくらか、分かっていたけど、行動を起こしていない。
世の中に、世界中に、
今、生きるのも、大変な問題が無数にある。
それに比べれば、確かに、吃音は軽いかもしれない。
私の価値観の中で、
吃音を低く評価していたのかもしれない。
私が知っている吃音は、ほんの一部。
吃音は、幼児では人口の約5%。
年齢と共に、自然に症状が軽くなるのが大部分。
それでも、成人の吃音者は人口の1%と言われている。
その多くは、自身の吃音を隠しながら生きる。
半分は、生活に大きな支障が生じない程度にはなるだろう。
吃音からの二次的障害で、うつや引きこもりになる人も多い。
吃音者の自殺も多いと推測される。
一概に吃音と言っても、個々人で症状が異なる。
対処の仕方も、治療法も、個々人で異なる。
吃音者の誰にも当てはまる治療法はないと云える。
ある人では、
経験を重ね、自分自身の生き方の自信や信念が強化されると、
吃音も軽くなっていく場合もある。
一生、吃音に悩まされる人もいる。
吃音治療の目的は、
生きる選択肢を広げること、と書いてあるブログを見た。
一般に、子育ても教育も、生涯教育も、同様に、
選択肢が広がれば、
人は人生で、自分の個性に適した職業や趣味や楽しみを見つけられる。
人生で生きがいや充足感を達成できる。
吃音の人は、普通、対人的な職業を避ける。
セールスや営業、
政治家や俳優などを避ける。
しゃべるのが仕事というのは、吃音者にはつらい。
このように人生の選択肢が狭くなる。
これでは良い生き方ができないだろう。
例えば、盲人の写真家や、
ろうあ者の音楽家なども生まれている。
社会的な支援により、
吃音者の人生の選択肢が広くなることを
願ってやまない。