今朝の新聞は、オウム幹部の死刑執行。

さらに、文部科学省幹部の収賄事件。

どちらも、高学歴者の犯罪。

 

昨日のブログに取り上げたが、

中学校のいじめ問題。

いじめに対処する教師側の明らかな認識不足。

あるいは、悪意ある対応。

 

教師たちは学校で、

犯罪や収賄やいじめについて学ぶ機会がなかったのだろう。

学校では、通常、そういうことを勉強しない。

 

私の過去を振り返っても、

犯罪について考え始めたのは、吃音がきっかけ。

障害者は、どんな障害でも、当人だけしか分からない悩みをもつ。

周囲の人に相談しても、よい相談者を見つけるのは難しい。

 

半世紀前は、今よりも吃音は知られていなかったから、

学校の教師は、ほぼ無知。

治療機関もなかった。

 

世の中には、当人一人で抱えきれない問題を背負っている人がいる。

そういう人の中に、

生育環境や本人の気質や悪い友人などの条件が加わり、

犯罪が生まれる。

 

犯罪者は特別な人ではない。

誰もが犯罪者になりえる。

学歴は無関係。

極論を云えば、誰も皆、等しく、極悪犯になりえる。

死刑囚にもなりえる。

 

かつての戦争中、普通の人が命令一下、

すぐさま、殺人鬼になれたように。

 

話は変わる。

 

昨日は、当市の地域自立支援協議会。

主に、当市の障害福祉計画について話し合う。

 

障害福祉だから、範囲がべらぼうに広い。

年数回の会合(2時間弱)で、

話し合えることは限られている。

 

私は、いつも、欲求不満で会合を終える。

言いたいことの10%くらいしか発言できない。

 

協議会には、部会がいくつかある。

例えば、

個別の事案は、部会で協議される。

例えば、災害で障害者Aさんが困っているなど。

 

協議会では全般的なことを審議する。

今回、私が尋ねてみたかったのは、

 

相談窓口の話。

たまたま、ある委員から先に問題提起されたのであるが。

 

この問題は、とても大きい。

例えば、吃音者や場面緘黙などの当事者が、市役所の窓口を尋ねた場合。

普通、そういう人は尋ねないが。

 

私の経験から言えることは、

深刻な問題を持った人は、声を上げない。という現実がある。

だいたい、周囲の知人が気をまわして、

民生委員などの福祉支援員に連絡する。

 

もし、仮に、当事者が尋ねることがあったとして、

吃音や場面緘黙の人が窓口に顔を出した場合。

窓口の職員は、どうするだろうか。

 

「変な人が来た、怖い」と

警備員を呼ぶ可能性すらある。

 

障害者差別解消法ができたが、

障害者に対する合理的配慮には、

当事者の障害について、いくらかの知識がないと

どうにもできない。

 

行政の相談窓口というのは、

とても、たいへんな仕事。

 

例えば、

いじめについての相談。

 

教育委員会など学校側に近い相談機関では、

普通、まともな対応は期待できないだろう。

すぐに学校に知られてしまう。

 

相談者の秘密を保持したままで、

問題調査ができる窓口や機関でないと、

相談者は信頼できない。

 

障害者や高齢者の問題、育児やこども、いじめ等々。

行政からの不当な扱いに対する不満が多い。

そういう微妙な問題を親しく受け付ける窓口が、

ないのではないか。と

私は感じている。

 

相談機関というのは、

どんな相談でも、気楽にできるようにならないと、

いけないのではないかと、思う。