今朝、フェイスブックの友人に書いたコメントが
こころに引っ掛かっている。
その友人は、障害を原因とする差別について書いていた。
障害も多種多様あり、一概に言えない。
天才という特別な才能さえも、ある人には耐えがたい負担となる。
私も含めて、大多数の凡人では
問題が大きく、乗り越えられない障害が、
前途を塞いだら、自殺しか道がない場合もあり得る。
私の障害歴は、吃音。
かなり軽かったのであろう。
約40年で完治してしまった。
今は、天使(娘)の障害と向き合っている。
天使の障害は、本人にとって最悪かもしれない。
しかし、死ぬよりも随分マシ。
植物状態になるよりも、断然によい。
(最初の主治医は半分以上の確率と言っていた)
さらに、
私たち夫婦に、生きがいを与えてくれた。
天からの恵みのようなもの。
障害は、どんな障害であれ、
本人が、どのように受け止めるかにかかっている。
幸いにも、吃音については
わずかだが、社会的認知が始まっている。
私が若い頃には、ひとりで耐えるしかなかったが。
今では、吃音者への合理的配慮が要求できるようになった。
介護保険や障害年金の制度で、助かっている人も多い。
しかし、日本の近未来を考えると、
いつまで続くかは、不明というよりも、
かなりな確かさで、10年後や20年後に、
財政破綻の結果として、
福祉のレベルは半分以下になる可能性が高い。
生保の水準も半分以下になるだろう。
弱者は切り捨てられるだろう。
そういう時代がきて、
障害者として生きることの重さを
再認識しなくてはいけなくなるかもしれない。