今朝も、思った。

最近は、いつも同じ思いが沸き起こる。

 

天使(娘)の朝食後の歯磨き。

発病以来、約6年、私が担当している。

「この幸せが長く続けばいいが」と。

 

10年も続けば、奇跡のような幸福になるだろう。

 

世の中に、不幸や痛みに苦しんでいる人が多い。

たまに、ネットで幸せの宣伝に出会うが、ウソくさい。

 

実際、この世の半分は幸せにあふれているのではないかと思う。

幸せな人は、自慢したりしない。

目立たないのだ。

 

私は演劇についてほぼ無知。

たぶん、演劇は、非日常世界を作り出すのだと思う。

そこでは何でも許される。

表現の自由。

 

個性が解放される。

自己表現が奔放にできる。

自分の中に眠っていた才能が外にあらわれる。

そこでは、誰もが天才にも犯罪者にもなれる。

 

本来、人間には決まった個性はない。

全ての個性は、生まれてからの生育環境で形成されたもの。

特に、家庭と教育でゆがめられることが多い。

教育は、個性を伸ばすというよりも、人格の成長を阻害する向きがある。

 

演劇教育は、学校教育の欠陥を補うものかもしれない。

 

演劇によるまちづくりには、平田さんのような優れたリーダーが不可欠。

誰にでもできるものではない。

 

しかし、まちづくりの仕掛けには色々考えられる。

例えば、数学によるまちづくり。

これもあり得ると思う。

 

今、私は、生まれて初めて、テンソルの演算を勉強している。

これが面白い。

こんなに面白いものは、小学校から教えるべきだと思う。

たぶん、中学生になれば、相対論や量子論の理解にたどり着くのではないだろうか。

 

高校では、新しい知見を発見して、

世界に向かって論文発信する生徒が沢山生まれ出るのではないかと思う。

 

世界中から数学に得意な子どもたちが集まってくる。

勿論、先生方も多数必要になる。

 

数学を学ぶだけなら、ハコモノは不要。

衣食住さえあればいい。

投資はいらない。

しかし、数学が花咲くまちができれば、

世界中から多くの人々が集まってくるだろう。

 

これも、まちづくりになる。