今朝のブログ閲覧で、考えさせるテーマを見つけた。
理想の社会についての意見で、
すべての個人が尊重される社会と書いてあった。
個人の尊重と言っても、勿論、個々の我がままは尊重できない。
社会生活を送るには、自制や自律やルールが必要になる。
どこからが我がままになるか、明確な線引きは難しい。
どちらにしても、
教育の役割が重要となる。
悪く言えば、教育とは
強制ではなく、自分から進んで自己規制するようにしこむこと。
人は死ぬまで成長可能だから、生涯教育となっていく。
個々人の個性は、あまりにも多様で複雑。
一律管理などは、もともと不可能。
不法行為を予防するのは、
ゆるやかに相互監視する社会が望ましい。
すなわち、地域共同体の中で、ゆるやかな人付き合いによる管理が理想だろう。
人の反社会性は、教育で是正できない場合も。
どうしても自由を束縛せざるをえない場合もある。
アメリカのように、受刑者が200万人を超える社会は、明らかに破綻社会だが。
全ての人が、社会の一員となる自覚をもち・自立した主権者となって、
社会参加するのが理想社会だが。
しかし、現実は、
選挙でも棄権者が多い。
大多数の人は、世の中に関心を抱いていない。
自分の生活だけで精一杯なのだろう。
政治のあらゆる情報が市民と共有され、誰もが政治の仕組みにアクセスできる制度が
もし、実現したとしても、
多くの人々は、政治への関心をもとうとしないだろうと、私は思う。
人生には多様で雑多な楽しみがあり、
政治は楽しみとなりにくい。
政治は、要するに、社会全体の動きを的確に把握して
全体の幸福度が高まるように制度を改善していく地味な活動。
利他的行動。
さらに、多様な利害を調整していく、
とても面倒な作業だ。
成果が出るのに時間がかかることも多い。
一生懸命にやっても、徒労に終わることが多い。
苦労ばかり多くて、利得は期待できない。
普通の人は、政治に関心があっても、
政治的な活動に乗り出すには、
ハードルが高いのが現実。
政治は、普通の人が手を出しにくい領域になっている。
政治をもっと身近なものにできるなら、
理想なのだが、
私にはよい知恵が浮かばない。
理想の社会についての意見を見て、
私の感想を思いつくままに書いてみた。