障害者は「かわいそうなひと」。
たぶん、多くの人が最初に感じる。
人生の途上で、障害者と身近に接するにつれて、
感じ方が変わってくる。
親や子どもや兄弟が障害者になると、
障害者が良く分かるようになる。
なんだ、普通の人と同じなんだ。と
出生前診断を受ける人が増えている。
6万人を超えたようだ。
約1.8%が陽性。その中で、
約84%が確定検査を受ける。
陽性確定が約90%、
約10%が異常なし。
この検査は、全ての障害が予見できる訳ではない。
分かるのは障害の一部。
すべての親は、
健康で元気な赤ちゃん誕生を望む。
しかし、予知は不可能。
確率的に多様な子どもが生まれる。
天才も生まれる、
障害のある子も生まれる。
生まれる前の診断は、不確か。
科学が発展しても、不確かは残る。
遺伝子の発現には、無数の多様な要素が関わるからだ。
さて、大問題は、
陽性と診断された親たちが、選択に苦しむこと。
中絶は、単純ではない。
妊娠の記憶をすべて消去できるなら単純だが。
中絶は、倫理的に殺人に等しい。
殺人の後悔がつきまとう。
もし、中絶後、幸運に、
子宝に恵まれ、幸せを実現できたとしても、
後悔がつきまとう。
障害のある子が、幸せになれるかどうか。
愛情ある子育てがうまくいくなら、健常者と確率は同じだろう。
障害のある子を育てる親たちが、幸せになれるか、どうか。
それは、親たちの愛が試される課題。
出生前診断で陽性となった場合、
親たちに、突きつけられるのは、
子どもをもつことの意味。
親であることの意味。
とても難しい問題だ。
「人が生きるとはどういうことか」
出生前診断を受ける前、
専門家によるカウンセリングが受けられる施設もある。
カウンセリング後に約3割が検査をやめるという。
検査で不安が消えるわけではない。
陽性になれば、不安がさらに増大。
中絶しても不安が消えない。
子育てには、多様な問題が起こる。
その多くは、個別的で
相談機関に頼っても限界がある。
親の責任は重い。
子どもを育てるという
この世で一番と言ってもいい責任の重さを考えれば、
障害があるか、ないか、は
とても小さい宿題。
我が家も、娘が障害者となったお陰で、
夫婦の愛も確かになり、
娘も夫婦も三人ともに、
幸せさが大きくなった。
子どもが障害者となるのは、
親にとっては、幸せのキップを手に入れたような
幸運なことだと、
あらためて感じる。