子どもと大人が本音で語る会で感じたことを書いている。
戦争と平和というテーマでは、
争いや戦争は地球上から決してなくならないと主張する大人がいた。
人類社会の歴史は、争いの歴史でもあるが、和解の歴史でもある。
今、世界の各地で武力衝突が起こっている。犠牲者の半数以上は、子どもと女性だ。
紛争のただ中に押しかけて、避難民への援助や、紛争の調停に尽力する人々がいる。
彼らの意見によれば、どんなに厳しい状況でも、必ず、平和への道は見つかるという。
当事者たちが対話する機会をつくり、希望ある生活をつくりだす。
争いはなくならないと言う大人たちは、現地を知っているのだろうかと思う。
現場から目をそむけて、抽象的な感想を述べているのだろうと思う。
学校に、いじめがある。
いじめはなくならないだろうか。
もし、当事者や教師や親たちが逃げずに取り組むなら、
必ず解決は可能だ。
この世に、確かに、病的(特別なケアが必要)な人がいる。
虐待を受けて育った人の中には、人を傷つけるのも平気な場合がある。
狂信的(一切の対話を拒否)な人々もいる。
しかし、ほとんどの人は、できるなら人助けしたいという気持ちをもっている。
話し合いも拒否する人はまれだ。
平和は、簡単につくれるものではない。
当事者たちが努力放棄すれば、先行きは困難になる。
利害の対立や、過去から引きずる泥沼がある。
北朝鮮の独裁者が典型的な実例。
恨みや復讐の念も強いだろうが。
だが、少なくとも人間同士だから話しは通じる。
下記は、フィリピンを9日間訪問してストリートチルドレンたちと知り合った15歳少女の感想。
東洋経済オンライン(2月27日)の記事から。
「ストリートチルドレンがこの世の中に存在しているということ、貧しい人が存在していることを当たり前だと思うようになってしまったら、この世界はこれ以上進歩しないと思います。あんなに才能のある、あんなにすてきな子どもたちが、こんなに理不尽な環境に置かれている。このことは絶対におかしい。このような新鮮な気持ちを持ち続け、誰かの支えになれるような大人になりたいなと強く決心しました。」
中学生ですら、このくらいの意識がある。
人生経験の豊富な大人が、思いやりのこころがないはずがない。