先ほど、若い人と活動(政治)についておしゃべり。

昔のことを思い出した。

 

私は高校から、社会問題に関心があり、

進学したら、活動しようと思っていた。

現役で入った大学は田舎(鹿児島)で、

一緒に活動できる仲間を作れなかった。

 

自分では左翼と思っていたが、

私の考えは、現にあるものは全てそれなりの理由があるから、

全部否定というのは、納得できなかった。

「断固反対」ではなく、

一部反対なら言えるが。

安保も一部反対。


ただし、

べトナム戦争、これは全くダメ。

 

一人で動くしかないので、

ガリ版でビラ作りも、タテカンに書くのも一人で。

一人でマイクをもって、一人で訴えるしかない。

誰も相手にしてくれなかった。

 

中年からも、いろいろな活動をした。

人権、教育、福祉、市政監視など。

これらのほとんどは一人で始めた。

 

一人でビラをつくり、会場を予約し、

新聞社を回って説明して歩き。

会の司会をして、

活動報告(毎月発行)をつくり、

運動の結果を支援者に知らせた。

支援者も30名くらいが限界。

 

一例を思い出す。

住中応援隊の活動をしていたとき。

生徒が望むイベントをしたいと思った。

 

まず、生徒全員にアンケートした。

教師を通じて、アンケート用紙を配る。

「何をして欲しい」のかを知りたいから。

 

生徒の回答は、

外国人と触れ合いたいという希望が一番多かった。

 

それで、夏休みの昼間に、外国人と触れ合う企画を立ち上げる。

生徒会と相談して、日時を決める。

それから、外人さん集めが大変。

色々な縁を頼り、13名くらい集めた。

勿論、全員がボランティア。

 

当日、

生徒がどのくらい来るだろうか、心配だった。

生徒への宣伝は、生徒会に任せていたからだ。

 

結局、ふたを開けると、

生徒会のメンバー以外は、来なかった。

外人さんと生徒たちは、だいたい同じ人数。

それは、それで成功かもしれない。

 

先生はもちろん誰も来ない。

先生には呼びかけていない。

 

この結果は、私に、

とてもショックだった。

 

私は無駄なことをやっていると、

つくづく感じた。

 

一人で動くというのは、

なかなかしんどいものだ。

 

しかし、

懐かしい思い出にはなる。