若い頃は、世に疑問をもつものだ。
私も高校時代、社会は正しくないことが多いと感じた。
例えば、天皇の戦争責任など。
他にも、在日の問題や、犯罪者への処遇など。
私の時代、学校でいじめ問題は目立たなかった。
先生からの暴行はあったが。(体罰は半ば容認されていた)
小学校のときは、校庭で皆が見ている中で、
生徒同士が殺しあうこともあった。(凶器は小型ナイフ)
まだ、貧しく、冬に靴下をはいていない生徒も多かった。
貧しさからの犯罪も多い。(永山則夫事件など)
社会に問題は満ちていた。
社会変革の必要を感じる若者も多かった。
私もその一人。
高校を卒業するころ、将来について考えたことは、
社会を変える活動をしたいということだった。
大学入学は、その一歩。
当然、学生運動しかない。
授業には出ないで、色々やっていたが、
私はすでに自分の考えをもっていたから、
セクトの勉強会に出ても、納得のいかないことばかり。
自分の所属すべき仲間が見つけられない。
当然、一人で動くしかない。
徒労感がつのる。
田舎の大学だったので、再受験を考えた。
休学して、新聞配達しながらの受験。
前日のブログに書いた、勉強できない習癖のせいで、
再受験は断念せざるを得なかったが。
新聞配達のときは、背中にゼッケンを張り付けて配達。
「反権力」と大きく書いて。
その後しばらくは、活動を続ける余裕がなかった。
結婚して、子どもが生まれて、
生活しなくてはいけない。
勉強恐怖も治り、定職に就き、
生活が安定してから、
また活動に戻った。
さて、何をしようか考えた。
その頃、私の考えに近いのは、民主社会主義。
社会党は左過ぎる、民社党は右過ぎる。
政治活動に、私の居場所はなかった。
その頃、
地方議員について、もう少し知識があれば、
考えたかもしれないが、
市議さんは地域のボスと感じる時代だった。
ボランティア活動が私にふさわしい居場所になった。
人権、教育、福祉、障害者問題など
そして市政についてもコミットし始めた。
還暦過ぎ、ボランティアを整理。
体力がなくなると、
できることを絞らないといけない。
今は、地域づくりと審議会へ参加が中心。
情報発信が主になった。