昨日、ネットの知り合いに会った。
ネット付き合いは5年以上になるが、
どういう人であるのか、不明。
ただ分かるのは、世間を知っている人という理解。
たぶん、直接会って、おしゃべりしたら、
面白いだろうという期待。
実際、
予期していた以上の魅力があった。
電車に乗って隣の市へ。
近頃、外出は稀で、
市外へ出るのも、ちょっとした冒険。
軽い興奮がある。
顔を見るのも初めて、
名前も数日前に知ったばかり。
しかし、二言三言、言葉を交わすだけで、
長年の知人のような感じになった。
文章を読むと、人柄がだいたい分かる。
会って、おしゃべりすれば、もっと分かる。
家族や仕事の話など。
霊感があった母上のこと。
また、モノに触るだけで、持ち主の特徴を感受する人の話など、
面白い話題が尽きない。
最大の収穫は、
親孝行や家族間の精神的つながりの大切さを
あらためて再認識したこと。
私は母の介護を長いことした。
母のお尻は、飽きるほど眺めた。
今は、娘を毎日眺めているが。
父の介護もやっている。
父は1月1日深夜、2日へと日付が替わる頃に死亡。
亡くなる前日の朝(元旦)、4時半におむつ交換に行くと、
ベットは下痢状の便で、大惨事。
防水シート、毛布、布団、さらに、厚いマットまで
色のついた液体が浸みこんでいた。
タオルを何枚も重ねて下半身を包み、
なんとか、処理を終えた。
父は数日、水分もとらなくなっていた。
軽く口を湿らす程度。
ヘルパーは着替えさせるくれるだけ。
元旦の夕方、
いつもの世話して、
帰るよと、挨拶すると、
手を振った。
父の顔に、死の予感は全くなかった。
重度な肺気腫で、呼吸がかなり苦しいにもかかわらず。
明るい顔で。
不思議なこと。
私は、数日前から、
いつ死ぬだろうかと思っていた。
2日の朝、4時半、
親父の家に向かう途中で、
今日こそ、死んでいるのではないかと
思いながら歩いた。
(私の家から親父の家まで数分で行ける)
予感的中。
死後数時間。夜半の孤独死。
享年94歳。
こんなふうに予感が当たるのは、
これで二度目。
一度目は、友人の死。
前日に連絡が取れないので、
二日ぶりに友人の家に行ったら、
死んでいた。
すぐに警察へ電話。
三日前に家まで送り、
ベッドに転がった、そのままの服装だった。
母の介護も長いと書いた。
10年以上に渡って、
毎日3回から5回、母の世話に行った。
母の部屋にそっと入り、
寝息などを確かめていると、
「まだ生きちょる」と
声を出した。
母(享年85歳)の場合も、
死期がほぼ予感できた。
母は70歳発病した脳梗塞の後遺症で、
脳機能障害が進んでいた。
常時おむつで、臭覚もマヒ。
ついに、足が立たなくなり、緊急入院して1ケ月。
食べられなくなって、退院させた。
退院は病院ともめたが、無理やり。
自宅で最期を迎える。と
訪問看護で水分だけの補給。
しかし、点滴はほぼ半日必要。
何度も針が外れる。
血流が悪い。
そのたびに、看護師を呼ぶ。
毎日、1リットルの水分。
尿は1リットルと300cc。
すなわち、小尿300CCは、
脂肪が燃焼して出たもの。
これが母のエネルギー源。
毎日、確実に体重が減少。
1ケ月半して、亡くなった。
3月4日の午前10時頃。
大勢の家族に囲まれて。